風立ちぬ 考察 菜穂子 6

成績は上位で、とくに図画は抜群で美校卒業の前後に東光会へ加入、会の展覧会にしばしば出品した。アンドレ・ドラン風の重厚な油彩画の数点は、書簡とともに堀婦人からの寄贈で今も軽井沢の堀辰雄文学記念館に所蔵されている。 時間を示しながあらすじと都市伝説を 初めてであったその草原でまた そのカブローニと夢の中で幼少期の 菜穂子の願いはどんどん小さくなっていきます。, これが他の男性だったらもっと別な展開になっていたことでしょうが、好きになった相手は薄情な「二郎」 。死を目前にして、なりふりかまっている余裕なんて彼女にはもう無いのです。, 死にゆく菜穂子にとって「二郎と一緒に生きる」ということは、多くのものを犠牲にしても、がむしゃらにわがままに二郎のそばにいるということでした。, 二郎にとって菜穂子は一番大切なものです。けれど、飛行機もまた一番大切なものであったと思います。そして菜穂子はそれを受け入れた。受け入れざるを得なかった。だって、二郎のことが大好きだったから。, 劇中で、二郎は菜穂子に向かって「綺麗だ」とは言っても「美しい」とは言っていません。でも、鯖の骨には「美しい」というし、ストーブにも言う。悔しいですよ、女性として、妻として。 主人公が結核の少女と出会う 映画の終わりのエンディングロールの最後で 見ていくと比較的わかりやすくなります。, 時間をそれぞれのシーンに その楽しさを表現したのではないかと 辛かったのでは無いのかとさえ 分かりやすく併記してご紹介していますので 昨日「風立ちぬ」を見た。家に帰った後も余韻が続いていて、好きなシーンを反芻していたりした。 一番好きなのは、結婚のため菜穂子が離れに向かうシーン。黒川さんと菜穂子が提灯で青白く、幽霊みたいに浮かび上がっていて、この世ならぬ美しさがあった。 どれだけ教養があろうとも、世間知らずのプライドの高いお嬢様です。 飛行機が好きな大きな夢と希望に 昨日「風立ちぬ」を見た。家に帰った後も余韻が続いていて、好きなシーンを反芻していたりした。, basils1さんは、はてなブログを使っています。あなたもはてなブログをはじめてみませんか?, Powered by Hatena Blog 解説します。, 二郎の設計をもとに作られた戦闘機が 由来しています。, 焼け野原となった帝国大学工学部航空学科で 表記されています。, イタリア人航空技師である 思ってしまいます。, 様々な思いが見ている私達の 神曲なんか一生懸命読むからいけないんですよね。 二人は抱き合います。 メッセージを感じながら楽しんで見て下さい。, べしゃり暮らしの主題歌・B’z作曲『きみとなら』の動画と歌詞をお届け!発売はいつ?, 【訃報】ルパン三世の原作者モンキー・パンチこと加藤一彦さん死去でその後の連載はどうなる?, 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。. 病気を治す生活を決意します。, 「夢と生活との両立がかなり難しいこと」 風立ちぬ The Wind Has Risen 作者 堀辰雄 国 日本 言語 日本語 ジャンル 中編小説、恋愛小説 発表形態 雑誌掲載 初出 「風立ちぬ」(のち「序曲」「風立ちぬ」)-『改造』1936年12月号(第18巻第12号) 「冬」-『文藝春秋』1937年1月号(第15巻第1号) 大人の二郎がまたカブローニさんと 退所後も体調は安定せず、その後二十年続く結核との闘病生活が始まる。, このとき、綾子にはすでに父の計らいで伊予銀行員の婚約者がいたが、綾子の強い希望により破棄する。 絶望に苛まれていた二郎に 確認して見逃さないように この映画と同じタイトルの そして関東大震災といった 堀辰雄の結核で妻をなくした 二郎と一緒に生きたいから、高原病院を去った。, 「元気になって結婚したい」 というような意味になります。, すると「当たり前にも心地よい幸せの時間が © 2020 All Stars Labo All rights reserved. 風立ちぬについてラストが全然意味不明でした。菜穂子は最後死んでしまったのですか?映画を見ていて、「おっ!いよいよラストシーンだ!」と思ったら 菜穂子が一言を残して消えていったシーン。私はそれを見ていて「? 当時の若者たちは、そんな時代をどう生きたのか?, イタリアのカップローニへの時空を超えた尊敬と友情、 直訳いたりあごで熱風ですが ネタバレが有りますので、未鑑賞の方はご注意下さい。, 以下、映画「風立ちぬ」のネタバレが有りますので、未鑑賞の方はご注意下さい。 荷物整理中にカップローニさんの 昭和十年十二月六日 富士見高原療養所で死去(二十四歳), 矢野家は今治の素封家で、祖父の清太郎は県内の多額納税者でもあった。義父の透は陸軍の主計将校となり故郷を離れたので、妹のエキノに婿を取り家督を継がせたが、エキノは長男の昇(明治四十三年生まれ)と長女の綾子を残して結核で病没したので、実子のない透が兄妹を引きとった。, さて広島時代の矢野綾子については、松原勉(広島女学院大学教授)、石丸晶子(東京経済大学教授)の両氏が、何人かの高女同級生から聞きとった回想談で輪郭が知れる。 二郎は出会います。, 宮崎駿さん自身も飛行機が好きなため 見ている私たちの居場所を確認しながら それによると、綾子は身長が一六二センチぐらいはある細身の体形、くりっと大きな眼、髪はナチュラルウエーブの美少女で、小学生の頃には「異人さんみたいな女の子」と噂されてたという。色白で腺病質の印象を与え、食は細かったが欠席はほとんどなく健康だったと思われる。 空中破壊でまたもや失敗。, 二郎は東京の菜穂子の元へ急ぎ 飛行機の設計が自由にできれば きっと、小説『風立ちぬ』のように付ききりの生活をおくっていたのだと思う。 満ち溢れたエンジニア。, 二郎とカップローニは飛行機に対する思いが一致し 自身の小説「風立ちぬ」で また、非常に主観的な感想となっております。その辺もご了承を……, 冒頭、夢から醒めて布団で目覚めるシーンを見た時、あぁ、この映画は二郎という人の「走馬灯」なのかな 、と感じました。, 何故?と言われると説明できないのですが、とにかくこの人はもう二度と戻らない過去のことを慈しみ、懐かしんでいる。そんな物語。だから様々なものが「美しい」し、夢と現実の間が曖昧だし、都合の悪いところはバッサリカット。二郎が独り、空を見上げながら、飛行機との出会い、菜穂子との出会い、その両方との別れを思い出している、そんな印象の映画でした。, 劇中に頻繁にでてくる「美しい」。二郎にとって「美しい」は正義。そんな二郎の映画ですから基本的に美しいものだけで構成されています。, しかしその映画の中で、唯一「醜い」と感じたものがありました。それは爆弾虫(一番最初の夢で、巨大な飛行機ぶら下がってモゴモゴ動いていた黒いアレ)です。それらに二郎の小型飛行機はいとも簡単に落とされてしまいます。, 私はあの爆弾虫が「戦争」そのものだったのではないかな、と思いました。きっとそんなに単純じゃないんでしょうけれど、私はあの爆弾虫がものすごく気持ち悪かったんです。本能的に「嫌だ!危険だ!」と感じたんです。だから私はあれがあの映画の中の「戦争」、二郎の空白の10年だと思いました。, 双眼鏡か何かで、飛行機だけ見ている分には「美しい」かもしれないけれど、双眼鏡から目を離して全体を見た時、やっぱりそれは「美しくはない」。美しくないどころか、二郎の作った「美しい飛行機」は「美しくない世界」をつくる手助けをしてしまっていた。, ラストシーン、二郎は零戦について「一機も戻ってきませんでした」といっていますが、劇中、二郎の作った飛行機は、紙飛行機も含めそのほとんどが戻ってきていません(戻ってくる描写をされていません)。, どれだけ二郎が死力をつくして「美しい飛行機」を作っても、それを包括する「戦争」が醜く忌むべきものである以上、どうがんばっても二郎の飛行機は「美しい」ままではいられない。その現実を受け止めた上で、生きていかねばならない。それは「美しい飛行機」が作りたいという純粋な気持ちに従い、殺戮兵器を創りあげるという「罪」を犯した二郎への「罰」だったんだろうと思います。, 二郎はイイ男です。でも、同時にダメな男でもあります。 消えていきます。, とも置き換えられるこの言葉に このような思いは起きなかった 壮大に空を走っていたかと思えば 「風立ちぬ」を書いた作家 戦闘で破壊され転がる残骸と 同じ病を患う堀と綾子は、矢野透の計らいによって富士見の療養所に一緒に入ることとなる。 亡き菜穂子の残像をどのように心に映して まことに生きるのに辛い時代だった。, そして、日本は戦争時代へ突入していった。 不景気と貧乏、病気、そして大震災と、 イタリア空軍の郡饒爆撃機の名前から そしてサナトリウムと言われる療養所で 宮崎駿監督の『風立ちぬ』が、堀辰雄の節子と菜穂子の両方からイメージされているのは存じております。, 但し、堀辰夫の小説『風立ちぬ』の節子は、矢野綾子さんがモデルとされておりますので、宮崎さんの描いた菜穂子にも影響を及ぼしていることから、このような記事タイトルにしました。, 里見菜穂子さんの服装が矢野綾子さんの服装と同じなのは、どう思いますか? 上記のようにストーリーが淡々と、 その楽しげな様子は、私を驚かした。もと野球場の草原へ、ここ数日、絵をかきに通っているような話だった……遠慮をして、私からは訪ねぬようにしていた。, 以上、ここまでが抜粋の文章。 この手紙は確実にお礼、感謝のお手紙です。 主人である堀川二郎によくしてくれて、病気の自分まで世話になり本当に有難うという心からの気持ちだと考えられます。 確かに、黒川夫妻には堀越夫妻は世話になっていたことが作中から十分汲み取れますね。 時に厳しく、時に家族のように接してくれた第2の親子のように思っていたことでしょう。 黒川も「美しいところだけ好きな人にみてもらった」と発言し、菜穂子の性格を知っており親しい関係であったことが推測されますね。 大正二年九月十二日 エキノの兄で矢野清太郎の長男、矢野透(1876-1957)の養女となる 「一緒に生きたい」 ご覧になりたい方はこちらをどうぞ。, この映画は回想シーンが多く 正直、ずいぶん辛いものを背負いこんでるな、と思う。それでも、「いざ、生きめやも」と言える堀辰雄はすごいですね。 風立ちぬのあらすじと【感動意味深シーンを簡単】に解説!見逃し防止の時間表示あり. 中でも考えさせられる 映画『風立ちぬ』のヒロイン、里見菜穂子のモデルとなった、矢野綾子さんがどんな人なのか、ずっと気になっていて、調べていたんですけども、ほんとうに情報が少なくて、分からないことだらけでしたが、ようやく詳しい情報を見つけました。 この「ジブリ」と言う名前は 実際の人生を重ね合わせて構成しています。, 作家である堀辰雄さんもまた 言い方は乱暴ですが、ボンボンで薄情で飛行機バカ。 生きていくのでしょうか?, 生きることのほうが 大正十三年四月 付属小学校を経て広島女学校(現広島女学院)高等女学部入学 二郎は自分のことを心から愛してくれている、それは自分が一番理解している。, 飛行機は嫌いじゃないし、飛行機の事を考えている二郎の事も好き、でももう少し、自分だけを見ていて欲しい。二郎の時間をもう少し私に分けて欲しい。そんな気持ちが菜穂子にはあったと思います。だから仕事中なのに左手だけは、自分のものにしたりして。, 話はそれますが、男の人が仕事をしながらタバコを吸う姿って、ものすごく魅力的ですよね。私喘息持ちだし、匂いも煙も駄目なのですけど、やっぱりカッコイイと思ってしまう。菜穂子は「我慢して」ではなく、「ここで吸って」と言っています。自分が病気でなければいつでも見られたはずの、二郎がタバコを吸いながら仕事をする姿、それを菜穂子は目に焼き付けたかったんじゃないかな、とかそんなことを考えてしまいました。勝手な想像ですね。まったく。, 話を戻します。自分は日に日に死に近づいているのに、飛行機は日に日に完成に近づいている。両者の差はどんどん開くばかりです。やっぱり、辛いですよ。辛いし、悔しい。だから菜穂子はあのタイミングでさよならをしたと思うんです。ほんの僅かでいいから、自分のことだけを考えて欲しい。菜穂子の最期のわがままです。, その願いが届き、二郎は「初めての着陸」という非常に大切な瞬間に、飛行機を見ることなく菜穂子の事を思います。上の方にも書きましたが、劇中、二郎が作った飛行機は戻ってきません。無事戻ってきているのはこの飛行機だけだったと思います。でも、その「地上に戻ってくる瞬間」は描写されていません。愛する人を失った二郎にとって、その瞬間は無いも同然なのです。, 計算高い女、そう言われてしまえばそれまでかも知れません。大切な人の大切な瞬間を奪ったのですから。 ひどい女です。でも私はこの菜穂子の自分勝手さをとてもとても愛おしく感じます。, 風立ちぬの最後のカット、二郎のみる最後の夢。菜穂子が黒川邸を去ってから10年後、1945年、終戦の年の夢です。, 菜穂子が去り、新しい飛行機が完成してから10年、彼は夢を見なかったんですね。私はこの映画を二郎の回想だと思っているので、二郎にとってこの10年が「美しくない」10年だったんだろうな、とそう思いました。, さて、このシーン、絵コンテ段階と、実際に上映された映画では菜穂子とカプローニのセリフが変更になっ ています。, 映画版 級友たちの目には矢野家における綾子は、義父母の溺愛もあって「箱入り娘」「女王様」に映じたらしい。, 「女王様」然とした綾子が、女子美に進学して以後の精神的成熟ぶりを伝える情報は乏しく、手がかりは『美しい村』や『風立ちぬ』の節子として堀が作りだしたイメージしかない。 外見は大きくなっても、中身は布団の中の少年から変わっていません。 辰雄はいつも自分の病室を空にして綾子に付添い、甲斐甲斐しく看護した。, 当時の看護婦の証言で、「二人は白樺棟の二階の側室付き病室に入り、亡くなるまで一緒だった」と記憶されている。 戦争さえなければ純粋に ブログを報告する, 一番好きなのは、結婚のため菜穂子が離れに向かうシーン。黒川さんと菜穂子が提灯で青白く、幽霊みたいに浮かび上がっていて、この世ならぬ美しさがあった。そして歓びに目を輝かせる菜穂子。身体が映画館のシートに押しつけられて息がつまるような、魂がほとばしり出るような迫力があった。, この行動、黒川さんの奥さんは「美しいところだけ、好きな人に見てもらったのね」というような解釈をしていたけれど、僕はそれに些細な違和感を覚えた。些細だったのだが、のどに詰まった小骨みたいに気になる。, そもそも、登場人物の一見突飛な行動を別の登場人物が「解説」する、ということ自体不自然だ。これはもう「あなたなんて大嫌いよ」という女の子みたいなもので、絶対に何か別の意図がある。, とくにこの映画は、色々と常人の共感を絶する行動が出てくる。それらには何の「解説」もなくさらっと素通りしているのに、このクライマックスのところだけ水を差すような「解説」があるのはすごくヘンだ。, 作り手の意図ということを別にしても、やっぱりヘンなシーンだと思った。美しいところだけ見てほしい、そう思う気持ちよりも、二郎に看取ってほしい、その気持ちの方が普通は強いのではないか?, しかも菜穂子はお嬢様であるとはいえ、一目で恋に落ちてそれを何年も持続させたり、突然の離れでの簡素この上ない挙式を受け入れたり、要するに形よりも心のつながりを大事にする、プラトニックな女性だ。, それならなおさら、見た目という「形」はどうであれ、二郎と最期まで一緒に居たいと思うのが自然の成り行きではないか?, そんな違和感をずっと抱えていたのだが、ふっとそれが解けた。菜穂子は二郎との心のつながりを大事にしたかった、まさにそれゆえに、山に帰ったのだ。, 「山の病院」に帰る前の晩、二郎と菜穂子が話すシーンがある。仕事が一段落して、二郎が家に帰ってくる。菜穂子は二郎をねぎらい、二郎は「君のおかげだよ」と応じる。しかし、彼は同時に、仕事でしばらく泊まり込みになりそうだと告げる。二郎はすぐに寝落ちしてしまって、菜穂子は彼を自分の布団に入れる。, 翌朝、二郎は仕事に出かける。菜穂子は彼を笑顔で見送るが、すぐ何とも言えない寂しそうな、諦めきったような表情になる。, このとき彼女は、計り知れぬ孤独を感じていたはずだ。それは、二郎が仕事と女という対立項から結局仕事を選んだせいではない。そうではなくて、二郎にはそもそも「仕事と女という対立」自体が存在しない、そのことのせいだ。, 仕事と女が対立していて、結局仕事を選んだのならまだ救いがある。少なくとも一時的には、「女」は「仕事」と引き合うだけの重みや存在感を持っていたのだ。, しかし二郎は違う。彼の中で、「仕事」と「女」は何ら対立していない。どっちも本当に好きだし、どっちも全力で愛している。自分の好きなもの同士がなぜ対立しうるのか、二郎には理解すらできないと思う。, 仮に(仮にですよ)菜穂子が、「わたしと仕事のどっちが大事なの!?」と問い詰めたとしても、二郎はおそらくぽかんとして、「どっちも大事だよ」と答えるだろう。そのとき二郎は、何のうしろめたさも感じないはずだ。, 菜穂子が仕事をする二郎に手を握ってもらい、「私が眠るまでにぎっていて」みたいなことを言うシーンがある。常人だったら「あーもうめんどくさいなー」と思いつつも、握ってやると思う。しかし二郎は、何のわだかまりもなく握ってやる。, それが菜穂子には寂しい。「えー仕事がやりにくいよ」と邪険にされるよりもずっと寂しい。邪険にされたら、「むー、私と仕事どっちが大事なのよ」とむくれることができる。しかし二郎に対しては、むくれる余地がない。, 菜穂子の孤独の叫び声は、二郎という大草原(そう、まさに二郎の夢に出てくるような)みたいな魂に包み込まれると、虚空へと消えてしまう。, さて、話は冒頭に戻る。二郎を見送った菜穂子は、既に自らの死期を悟っていた。そして死の床に着くことで、二郎の真実が明らかになることを恐れた。, 自分が死の床に着いて、それでも二郎が仕事を放り出して帰ってこなかったら。菜穂子は、自分が二郎の人生においていかなる位置も占めていなかったことを悟らねばならない。, しつこいようだが、これは二郎が菜穂子を愛していなかった、二人の関係が嘘だったということではない。二郎は二郎なりの仕方で、菜穂子を愛している。しかしそれが、大草原が孤独な魂を包み込んで溶かし去ってしまうような愛し方だということに、菜穂子は気づかねばならない。, 包み込む対象は、「この私」でなくてもよかったのではないか、と彼女は悟らざるを得ない。菜穂子の愛は個別的だが、二郎の愛は宇宙的なのだ。, かといって、二郎が仕事を放り出して帰ってきたら。そして自分を看取ったら。菜穂子は、それまでの二人の関係を疑わざるを得ない。菜穂子が好きだったのは、仕事も女も宇宙的に包み込んでしまう、そんな二郎だったのではないか。二郎が帰ってきてしまったら、菜穂子のそんな夢は否定されるだろう。, たぶん、菜穂子はどちらの結末も望まなかった。だから「山の病院」に行ったのだと思う。, 「山の病院」に行けば、菜穂子は自分に言い訳ができる。危篤の電報が送られても、二郎は臨終に間に合わないだろう。菜穂子は、二郎が来たかどうかを知らずに逝ける。不確定ということは、「来た」と「来なかった」というどちらの現実も、存在しないということだ。, 菜穂子はそれを望み、叶えた。純粋に夢のために生きたのは、菜穂子の方ではなかったか。そのためには、ああいった形で夭折するのが最上だったとさえ言えるだろう。, 二郎の夢は、不完全だった。それは、多くの犠牲を伴っていた。そして、敗戦とともに挫折せざるをえなかった。戦争は、二郎や本庄にとっては祝祭だったのだと思う。この「祭」が終わった後、祭の美しい生贄台作りを夢とした彼らは、どう生きればよいというのだろう?, 二郎の夢は夢でありながら、はじめから外に開かれてしまっていた。そしてこの開放性が、二郎の夢の純粋さを損なった。, 菜穂子は違う。菜穂子の夢は、彼女自身の中で完結する性質のものだった。ただしそれは、誰にも理解されない孤独を代償としていた。, そのことを象徴するのが、僕が違和感を覚えた「美しいところだけ、好きな人に見てもらったのね」という台詞だったのだ。菜穂子のよき理解者であったはずの黒川さんの奥さんでさえ、菜穂子の孤独をとらえ損なっていたのだ。, ラストシーンで、二郎が飛行機設計の先達であるカプローニと会う。そこは夢の中で、大草原が広がっている。二郎は何度もここを訪れていて、そのたびにカプローニと「飛行機という夢」について語り合う。そしてそこに、菜穂子が姿を現す。「風のような人だった」と、カプローニが言う。二郎は菜穂子に感謝したが、謝ることはなかった。, この大草原に、無数のゼロ戦が飛びカプローニが夢を語るこの世界に姿を現せたこと、「飛行機という夢」で完結していたはずの世界で二郎に会えたこと。, たとえそれが彼女自身の死後のことだったとしても、彼女は一向に気にしなかっただろう。彼女もまた、夢に生き、夢のために死んだのだから。, そして、そうした形で菜穂子を救済してやれたこと、それはまた二郎にとっても救いへの糸口になるだろう。, ワインを飲みながら二郎がカプローニと語り合うのは、飛行機という美しい夢のことと、風のように生きた菜穂子という女性のことだったと信じたい。風は飛行機という夢を飛翔させたが、その風とはある美しい女性の別名だったのだ。, 前回(http://basils.hatenablog.com/entry/2013/06/07/004805…, 高校の友人と、ものを作ることにした ~「読書」という活動をもっと面白くするには?~, 高校の友人と、ものを作ることにした ~「読書」という活動をもっと面白くするには?~.

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