関 典史 関孝和 19

Arch. 関孝和がなぜ『楊輝算法』 の写本をしたかについて考察した。 そのた め、 関孝和の伝記的調査も行った。 その過程で、 関孝和の旧居と思われるところが発見さ れた。 これは、 数少ない関孝和の資料であるので、 関孝和の伝記的吏料と先行研究3. 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報, 江戸中期の数学者。後世「算聖」と称される。通称は新助、字(あざな)は子豹(しひょう)、自由亭と号した。『寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)』その他によると、孝和(「こうわ」とも読む)は、内山永明(ながあきら)の第2子(または第3子)に生まれる。内山氏は芦田(あしだ)五十騎の一つで、初め駿河大納言(するがだいなごん)と称された徳川忠長に仕えたが、忠長が高崎へ幽閉されたとき、内山氏は藤岡(群馬県)に居を構えた。のちに第3代将軍徳川家光に召し出され、天守番となる。孝和は関家へ養子に出たが、どの関家か未詳。芦田五十騎のなかの一家である。孝和の母は湯浅与右衛門の娘で、湯浅氏は安藤対馬守(つしまのかみ)の家来である。孝和は関家に養子に入ったのち、甲府の徳川綱重(つなしげ)とその子綱豊(つなとよ)(後の第6代将軍家宣(いえのぶ))に仕えた。甲府では勘定吟味役(かんじょうぎんみやく)(会計監査役)を務めた。1704年(宝永1)綱豊が第5代将軍綱吉(つなよし)の養子となり、江戸城西の丸へ入ったため、孝和も幕府直属の侍となった。御納戸(おなんど)組頭で、俸禄(ほうろく)は御蔵米250俵および十人扶持(ぶち)で、のちに300俵となった。06年に病のため職を辞し、宝永(ほうえい)5年10月24日没す。孝和には子がなく、兄の子新七(または新七郎)を養子としたが、甲府勤番中、不行跡のため追放され、関家は絶えた。孝和の墓は、内山家の菩提(ぼだい)寺である東京都新宿区弁天町の浄輪寺にある。, 関孝和がどこでだれに数学を教わったかは、まったくわかっていない。『塵劫記(じんごうき)』を独学で読破し、数学の力を得たと伝えられる。孝和の20歳前後は、『算法闕疑抄(けつぎしょう)』や『算俎(さんそ)』などりっぱな数学書が次々と出版されたころであり、独学のための手本に困ることはなかった。『塵劫記』から始まる遺題継承の最盛期であり、算額の奉掲もいよいよ盛んになろうとしている時期である。孝和はこれらの問題に刺激され、夢中になって数学を勉強したものと思われる。また、中国の古算書もできる限り探して読破した。孝和の業績を整理してみれば、このことは明らかである。関孝和が最初に世間に発表したのは、沢口一之(さわぐちかずゆき)の『古今算法記』にある遺題の解答で、『発微算法(はつびさんぽう)』(1674)と題して刊行した。本書は、中国で発明された器具代数である天元術を、連立多元高次方程式が筆算でできるように改良し、その計算を演段術と称して説明した算書である。この演段術は、弟子の建部賢弘(たけべかたひろ)によって詳しく解説され、『発微算法演段諺解(えんだんげんかい)』(1685)として世に出た。, 関孝和の業績をまとめると次のようになる。(1)演段術の創始、(2)ホーナーの近似解法、(3)補間法、(4)方程式の判別式、(5)導関数に相当する式、(6)極値、(7)方程式の解の変換、(8)各種の級数、(9)ベルヌーイ数、(10)正n角形の辺と対角線の関係式、(11)招差法、(12)整数論、(13)魔方陣、円攅(えんさん)(円陣のこと)、(14)エクストラポレーション、(15)各種の曲線、(16)パップス・ギュルダンの方法、(17)天文、暦についての多くの研究、などである。, 関孝和の取り扱った問題のほとんどは従来の問題で、それに解法を与えたのであるが、孝和の業績により数学が著しく高度になった。孝和は後継者にも恵まれ、弟子の建部賢明(かたあき)・賢弘兄弟により孝和の業績はまとめられ、中根元圭(げんけい)に伝えられ、さらに松永良弼(よしすけ)や久留島義太(くるしまよしひろ)に伝わって、日本の数学はますます高度な内容へ進歩することができたのである。後世、数学(和算)といえば、関流とまで称せられるようになった。, 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例, …このように,和算が大きく飛躍するきっかけを作ったのも遺題継承による。和算を高等数学にまで程度を高めた関孝和も,礒村吉徳の《算法闕疑抄(けつぎしよう)》(1659)の遺題100問,村瀬義益の《算法勿憚改(ふつたんかい)》(1673)の遺題100問の解答集を作っている。関孝和が世間に広く知られるきっかけを作った著書の《発微算法》(1674)は,沢口一之の《古今算法記》(1671)の遺題15問の解答書で,本書の中で,関孝和は,文字係数の多元高次方程式の表し方を示したのである。…, …もっと変数の多い場合を含めて考えて,行列式が考え出された。 和算では関孝和が1683年の著書《解伏題之法》で交式斜乗の法と称して扱ったが,三次までは正しく,四次以上は誤っていた。井関知辰は1690年の《算法発揮》で正しく扱った。…, …流派によってはほんの少し数式の表し方に違いのあることもある。関流というのは,関孝和の弟子,あるいは孫弟子に教わったという意味である。関流という名称を初めて使ったのは関孝和の孫弟子松永良弼で,松永の弟子山路主住から関流何伝というようになった。…, …日本では関孝和が単に方陣と名づけた。1,2,……,n2のn×n個の数を正方形に並べて縦,横,斜めの和を一定にしたものであるが,種々の特徴がある。…, …明治以前の日本人が研究した数学。研究者により,その初めを,(1)上古,(2)1627年(寛永4)刊の吉田光由著《塵劫記(じんごうき)》,(3)74年刊の関孝和著《発微算法(はつびさんぽう)》とする3通りがある。[奈良・平安時代] 養老令(718)によれば,官吏養成のための学校である大学寮を設置し,現在の中学生くらいの少年がここで勉強した。…. 江戸初期の数学者。関流和算の始祖。上野国(群馬県)の人。また、一説に江戸の人とも。名は「こうわ」とも。本名新助。号は自由亭。幕府の御納戸組頭。中国の天元術を改め新しい算法を創造し帰源整法と命名。筆算代数学・行列式論・正多角形理論などを開拓した。著書「発微算法」「括要算法」など。寛永一七頃~宝永五年(. 関 孝和(せき たかかず/こうわ、生年不明 - 宝永5年10月24日(1708年12月5日))は、日本の江戸時代の和算家(数学者)である。本姓は藤原氏。旧姓は内山氏、通称は新助。字は子豹、自由亭と号した。円周率を作る。, 生年は寛永12(1635年)- 20年(1643年)の間で諸説あり、はっきりしない。生誕地は上野国藤岡(現在の群馬県藤岡市)と江戸の2説ある。実父が寛永16年(1639年)に藤岡から江戸に移っているので、生年がそれ以前ならば生地は藤岡、それ以後なら生地は江戸と推測される。関の生涯については、あまり多くが伝わっていない。養子の関新七郎久之が重追放になり、家が断絶したことが理由の一つである。, 若くして関家の養子となり、また、当時の数学書である吉田光由の『塵劫記』を独学し、さらに高度な数学を学ぶ。甲斐国甲府藩(山梨県甲府市)の徳川綱重とその子である綱豊(徳川家宣)に仕え、勘定吟味役となる。綱豊が6代将軍となると直参として江戸詰めとなり、西の丸御納戸組頭に任じられた。孝和は甲府藩における国絵図(甲斐国絵図[注 1])の作成に関わり、また授時暦を深く研究して改暦の機会をうかがっていたが、その後渋川春海により貞享暦が作られたため、暦学において功績を挙げることはかなわなかった。, 関は和算が中国の模倣を超えて独自の発展を始めるにあたって、重要な役割を果たした。特に宋金元時代に大きく発展した天元術を深く研究し、根本的な改良を加えた。延宝2年(1674年)に『発微算法』を著し、点竄術(てんざんじゅつ)すなわち筆算による代数の計算法を発明して、和算が高等数学として発展するための基礎を作った。 ョン, 『數學叢説』のライブラリへ移動, 『方程両式』のライブラリへ移動, 『五明算法 後集』のライブラリへ移動, 次へ(第4ç«  実学としての和算), > 第3ç«  家元制度 趣味としての和算. 世界で最も早い時期に終結式を用いた変数消去の一般論を見出し、終結式の表現方法として行列式を用いている。, また暦の作成にあたって円周率の近似値が必要になったため、1681年頃に正131072角形を使って小数第11位まで算出した。関が最終的に採用した近似値は「3.14159265359微弱」[注 2][注 3]だったが、エイトケンのΔ2乗加速法[1]を用いた途中計算では小数点以下第16位まで正確に求めている[2]。これは世界的に見ても、数値的加速法の最も早い適用例の一つである(西洋でエイトケンのΔ2乗加速法が再発見されたのは1876年、H.von.Nägelsbachによってである[2][3])。ヤコブ・ベルヌーイとは独立かつやや早くにベルヌーイ数を発見していたことも知られている[注 4]。, 一方で、西洋の微分積分学の発展とは独立に、方程式の求根の際に導関数に相当するものを計算したり、求長・求積に関する業績を挙げているが、関は微分ばかりか関数の概念を持っておらず、微分法と積分法を結びつけた(微分積分学の基本定理を発見した)事実はない[4]。関がアイザック・ニュートンやゴットフリート・ライプニッツよりも前に微分積分学を創始したとするのは誤りである。, 宝永5年10月24日(1708年12月5日)、病に倒れて死去した。牛込弁天町(現在の東京都新宿区)の浄輪寺に葬られている[5]。弟子に建部賢弘や荒木村英がいる。関の死後もその学統(関流)はめざましく発展し、山路主住に至り免許制度などを整え、和算の圧倒的な中心勢力になる。有力な和算家はほとんどが関流に属するようになっていった。, 関孝和は関流の始祖として、算聖とあがめられた。明治以後、和算が西洋数学にとって代わられた後も、日本数学史上最高の英雄的人物とされた。上毛かるたでも「和算の大家 関孝和」[注 5]と詠われている。, 関の最大の業績は、天元術を革新して傍書法・点竄術を確立したことである。これは記号法の改良と理論の前進の双方を含み、後に和算で高度な数学が展開するための基礎を提供した。, 天元術は中国で発達した代数的解法である。求める数を未知数(天元の一と呼ぶ)とし、演算を施して方程式を立てる。問題を1元方程式に帰着できれば、次数に拘わらず算木によるホーナー法で近似的に解けた。しかし明代に入ると中国では天元術は衰え、もっぱら李氏朝鮮で継承されてゆく。朝鮮での発展や日本への流入の過程は今日でも不明な点が多い。日本では17世紀に入ってから、主に京阪の和算家の橋本正数・沢口一之らによって熱心に研究された。沢口の『古今算法記』(寛文10年、1670年)は、天元術の学習がほぼ完了したことを示している。, 天元術には多変数の高次方程式を扱えない欠点があった。これは未知数を記号ではなく算木を置く場所で表現しているからで、例えば (1 3 4) の配置は1変数の多項式 �}6Z��b��=��I'ž`4��yy���NM��T�'�?�� ���`�ݜ�^��޳��z�K�������Q����G�����>�1�n�d�Mqw{ٟqvmT�p7�.��QE�F��xQ���S]�؍@���N�˨��iV�WP�t����ua����Ŝ��i�. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 - 関孝和の用語解説 - [生]寛永19(1642)以前[没]宝永5(1708).10.24. x 者の方(障がい手帳などを提示願います。), 65歳以上の一関市民の方(年齢・住所が証明できるものを提示願います。). No reproduction or republication without written permission. <>stream 4 59. 1 馬車や農機などの車輪が動かないよう、所定の穴に指して固定するピン。2 (比喩的に)物事の要(かなめ)。... 「コトバンク」は朝日新聞社の登録商標です。「コトバンク」のサイトの著作権は(株)朝日新聞社及び(株)VOYAGE MARKETINGに帰属します。 は,関 の伝記を簡単にまとめた後,解 伏題之法(1683年 重訂)に したがって,行 列式の発見の様子を概観し,そ れによって,関 孝和あるいは関孝和研究の意義を明らか にしたい. (1876) 147-192. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=関孝和&oldid=80455178. + ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 - 関孝和の用語解説 - [生]寛永19(1642)以前[没]宝永5(1708).10.24. endobj 関孝和論序説が出た。 これらの中で、正面から関孝和の数学内容を《原文に即して》検討したものは、 [10] 竹之内脩著と [11] 拙著の二つである。 もちろん $[5]\sim[9]$ の各論説は関の 数学内容に密着するが、 後述のように《現代的解釈》が主流である。 関孝和によるベルヌーイ数の発見* 四日市大学 小川束\dagger 2007 年8 月21 日 概要 本論文は関孝和 $(?-1708)$ \Gamma 括要算法\sim の遺著 (全4 巻, 1709 年序, 1712 年刊) の第一巻 で与えられた「蝶積術」 (幕乗和の公式) %���� x %PDF-1.5 のいずれかを表す[注 6]。したがって2個目以降の未知数を文章による議論で消去してから、天元術を用いねばならなかった。, 『古今算法記』巻末の15問の未解決問題(遺題)はまさに多変数の方程式を必要とした。関は『発微算法』(延宝2年、1674年)でそれらすべての解を与えている。それは傍書法、すなわち算木による数ではなく紙の上の文字によって算式を論じる代数筆算を用い、2個目以降の未知数を文字で表して多変数の方程式を表現し、それを点竄術で処理して求めた。, ただし『発微算法』には変数を消去した後の1元方程式が書かれているだけで(それすらも詳細を端折った解答もあった)、その背景にある傍書法は一切表に現れていない。加えて初期の版では若干の誤りがあったため、正当性に疑いを持つ者も現れた。例えば佐治一平は15の回答のうち12が誤りだと主張した(実際には佐治の指摘のほとんどは的外れだった)。また佐治の師にあたる田中由真は『算法明解』(延宝7年、1679年)で、別の解答を関とは独立に発明した点竄術・傍書法を用いて与えた。, これに対して建部賢弘が『発微算法演段諺解』(貞享2年、1685年)で点竄術とそれを用いた解法の詳細を公開し、併せて若干の誤りを(場合によっては注記せずに)訂正している。さらに『解伏題之法』(天和3年、1683年)では終結式を用いた消去の一般的な理論を示し、加えて終結式を表現するために行列式に相当するものを導入した。ただし関は3次・4次の行列式は正しい表示を与えているが、5次については符号の誤りがあり、常に0になってしまう。やや後の1710年以前に完成した『大成算経』(建部賢明・建部賢弘との共著)で、第1列についての余因子展開を一般の行列について正しく与えている。, 類似の結果は大阪の井関知辰による『算法発揮』(元禄3年、1690年)にも見られる。また、田中の『算学紛解』(1690年?)にもその萌芽と思しき消去方法がみられる。『解伏題之法』も『大成算経』も公刊されていないので、これらの研究は独自になされたと思われる。関と京阪の和算家との交流には不明な点が多い。また『大成算経』の存在にもかかわらず、後の関流の有力な和算家たちが『解伏題之法』を訂正して正しい展開式を得る研究を続けていて、この理由も今のところ不明である。, なおゴットフリート・ライプニッツが行列式を導入したのは関と同じ1683年ころだが、『解伏題之法』に比較して一般性に劣る。一般の行列式の公式や終結式の理論が発見されるのは18世紀の中ごろだった。先立って楊輝(中国、1238年? <. 4 x��]M�#;n�7���gᔾ%`�� I� �ھ�g0����ߏt]���������Q���ן?�������xJ.����I)������ۿ~������5����S�۶}8w���_Z��Z����tӧ���vҦ����?��O�\zl����c���*Ҩ(>����Ƣ(h{r�m�i��>t���pI ���iN��Aا�f�,B�?���?9���*l6{ھF� 3 %PDF-1.4 %���� 1 0 obj << /CreationDate (D:20090128041453+08'00') /Creator /ModDate (D:20090128041453+08'00') /Producer >> endobj 2 0 obj << /Pages 3 0 R /Type /Catalog >> endobj 3 0 obj << /Count 18 /Kids [4 0 R 16 0 R 18 0 R 20 0 R 24 0 R 32 0 R 34 0 R 39 0 R 44 0 R 46 0 R 51 0 R 56 0 R 63 0 R 65 0 R 70 0 R 72 0 R 74 0 R 76 0 R] /Type /Pages >> endobj 4 0 obj << /Contents 15 0 R /MediaBox [0 0 595.27502 841.87500] /Parent 3 0 R /Resources << /Font << /F1 5 0 R /F2 7 0 R /F3 10 0 R /F4 12 0 R >> >> /Type /Page >> endobj 5 0 obj << /BaseFont /TimesNewRomanPSMT /Encoding /WinAnsiEncoding /FirstChar 32 /FontDescriptor 6 0 R /LastChar 255 /Subtype /TrueType /Type /Font /Widths [250 333 408 500 500 833 777 180 333 333 500 563 250 333 250 277 500 500 500 500 500 500 500 500 500 500 277 277 563 563 563 443 920 722 666 666 722 610 556 722 722 333 389 722 610 889 722 722 556 722 666 556 610 722 722 943 722 722 610 333 277 333 469 500 333 443 500 443 500 443 333 500 500 277 277 500 277 777 500 500 500 500 333 389 277 500 500 722 500 500 443 479 200 479 541 250 500 250 333 500 443 1000 500 500 333 1000 556 333 889 250 610 250 250 333 333 443 443 350 500 1000 333 979 389 333 722 250 443 722 250 333 500 500 500 500 200 500 333 759 275 500 563 250 759 500 399 548 299 299 333 576 453 250 333 299 310 500 750 750 750 443 722 722 722 722 722 722 889 666 610 610 610 610 333 333 333 333 722 722 722 722 722 722 722 563 722 722 722 722 722 722 556 500 443 443 443 443 443 443 666 443 443 443 443 443 277 277 277 277 500 500 500 500 500 500 500 548 500 500 500 500 500 500 500 500] >> endobj 6 0 obj << /Ascent 891 /CapHeight 891 /Descent -216 /Flags 34 /FontBBox [-568 -307 2000 1007] /FontName /TimesNewRomanPSMT /ItalicAngle 0 /StemV 87 /Type /FontDescriptor >> endobj 7 0 obj << /BaseFont /MS-Gothic /DescendantFonts [8 0 R] /Encoding /Identity-H /Subtype /Type0 /Type /Font >> endobj 8 0 obj << /BaseFont /MS-Gothic /CIDSystemInfo << /Ordering (Japan1) /Registry (Adobe) /Supplement 4 >> /DW 1000 /FontDescriptor 9 0 R /Subtype /CIDFontType2 /Type /Font /W [1 [500]] >> endobj 9 0 obj << /Ascent 859 /CapHeight 859 /Descent -140 /Flags 5 /FontBBox [0 -137 1000 859] /FontName /MS-Gothic /ItalicAngle 0 /StemV 87 /Style << /Panose <0801020b0609070205080204> >> /Type /FontDescriptor >> endobj 10 0 obj << /BaseFont /TimesNewRomanPS-BoldMT /Encoding /WinAnsiEncoding /FirstChar 32 /FontDescriptor 11 0 R /LastChar 255 /Subtype /TrueType /Type /Font /Widths [250 333 555 500 500 1000 833 277 333 333 500 569 250 333 250 277 500 500 500 500 500 500 500 500 500 500 333 333 569 569 569 500 930 722 666 722 722 666 610 777 777 389 500 777 666 943 722 777 610 777 722 556 666 722 722 1000 722 722 666 333 277 333 581 500 333 500 556 443 556 443 333 500 556 277 333 556 277 833 556 500 556 556 443 389 333 556 500 722 500 500 443 394 220 394 520 250 500 250 333 500 500 1000 500 500 333 1000 556 333 1000 250 666 250 250 333 333 500 500 350 500 1000 333 1000 389 333 722 250 443 722 250 333 500 500 500 500 220 500 333 747 299 500 569 250 747 500 399 548 299 299 333 576 540 250 333 299 330 500 750 750 750 500 722 722 722 722 722 722 1000 722 666 666 666 666 389 389 389 389 722 722 777 777 777 777 777 569 777 722 722 722 722 722 610 556 500 500 500 500 500 500 722 443 443 443 443 443 277 277 277 277 500 556 500 500 500 500 500 548 500 556 556 556 556 500 556 500] >> endobj 11 0 obj << /Ascent 891 /CapHeight 891 /Descent -216 /Flags 34 /FontBBox [-558 -307 2000 1026] /FontName /TimesNewRomanPS-BoldMT /ItalicAngle 0 /StemV 165 /Type /FontDescriptor >> endobj 12 0 obj << /BaseFont /MS-Mincho /DescendantFonts [13 0 R] /Encoding /Identity-H /Subtype /Type0 /Type /Font >> endobj 13 0 obj << /BaseFont /MS-Mincho /CIDSystemInfo << /Ordering (Japan1) /Registry (Adobe) /Supplement 4 >> /DW 1000 /FontDescriptor 14 0 R /Subtype /CIDFontType2 /Type /Font /W [1 [500]] >> endobj 14 0 obj << /Ascent 859 /CapHeight 859 /Descent -140 /Flags 7 /FontBBox [0 -137 1000 859] /FontName /MS-Mincho /ItalicAngle 0 /StemV 87 /Style << /Panose <010502020609040205080304> >> /Type /FontDescriptor >> endobj 15 0 obj << /Filter /FlateDecode /Length 5816 >> stream

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