故事成語 四面楚歌 意味 11

三国時代末期、魏に「竹林の七賢(ちくりんのしちけん)」と呼ばれる人たちがいました。今の時代でいう知識階層の人のことで、社会批判などを行う重要人物でした。その「竹林の七賢」の指導的な立場であった阮籍(げんせき)という人物がいました。「白眼」は、この阮籍が客人に対する態度を使い分けているという逸話がもとになっています。, 【故事】 中国北辺の塞の近くに住む塞翁という老人の馬が逃げたが、やがて駿馬を連れて帰ってきた。塞翁の息子がこの馬から落ちて足を折ってしまったが、そのために兵役を免れて命を長らえたという故事による。, ・人よりも先に物事を実行することによって、相手を抑え、有利な立場に立つことができる。 戦国時代、大和郡山(やまとこおりやま)の城主、筒井順昭(つついじゅんしょう)の病死を隠しすため、顔や声がよく似た木阿弥(もくあみ)という平民を替え玉とし、順昭の子が成人するまで、城主として人の目をあざむきました。その後、順昭の子が成人するとそれまで城主として生活していた木阿弥は、元の身分に戻されてしまったという故事から。, 【故事】 中国の故事で、詩人である杜黙(ともく)の詩が定型詩の格式にほとんど合わなかったことから。, 【故事】 中国の「漢書(かんじょ)趙充国伝(ちょうじゅうこくでん)」にある言葉が由来。「百聞は一見に如かず。兵はるかに度(はか)り難し。臣願わくは馳せて金城(きんじょう)に至り、図して方略をたてまつらん。」戦のことは遠く離れたところにいたのではわかりません。私が金城に駆け付けて状況を探り、図に書いて作戦計画を奏上いたしましょう。とあることに基づく。, 時勢や情勢に合わせた対処の方法のこと。もとは軍を指揮するときの四つの心構えのこと。風のように速く行動して、林のように静かに機会を待ち、火のように激しく襲い掛かり、山のように動かずに構えるという意味。孫子の中の句を略した言葉で、武田信玄が旗印に使ったといわれている。, 【故事】 春秋時代、敵同士の呉と越の人でも、乗り合わせた舟が嵐で転覆しそうになれば互いに協力し合うだろうという孫子の言葉からきている。, 【故事】 「列女伝」鄒孟軻母より。孟子の母親は、孟子への悪い影響を避けるため墓地の近くから市場の近くに引っ越し、さらに学校に近くに引っ越した。その結果、孟子は勉学に励み偉大な儒者になったという故事から。, 苦労して一度はよくなったものが、またもとの好ましくない状態に戻ること。せっかくの苦労や努力が無駄になること。, 【故事】 故事成語とは、ある故事がもとになってできた言葉です。故事とは、昔の出来事のことで、故事成語のほとんどは中国の古典に書かれた話からできています。故事成語は、一つ一つに由来となった歴史や物語があります。その中から、サイト管理人が「これはかっこいいな!... 当サイトに収録したことわざ・慣用句・故事成語の逆引き検索一覧になります。日常生活のちょっとした会話や、手紙、スピーチなど必要な場面で必要な表現をすばやく検索できます。ことわざ・慣用句の逆引き検索辞典としてご活用ください。メディア掲載情報➡︎メ... ことわざ慣用句の百科事典が大阪市港区、財団法人ことわざ検定協会、Wikipedia、GMO運営ニュースサイト、大阪市立港中学校ホームページに掲載。. 「巻」は、昔の中国の官吏登用試験の答案。最優等者のものをいちばん上にのせたところから。, 【故事】 漢(かん)の国の王の劉邦(りゅうほう)と天下を争った楚(そ)の国の王の項羽(こうう)は、会見の時に項羽(こうう)の軍師の范増(はんぞう)の指示に従って、剣の舞(けんのまい)にかこつけて劉邦(りゅうほう)を殺そうとした。それを知った劉邦(りゅうほう)の家臣の樊かい(はんかい)が髪をさか立てて、怒りの顔つきで目をらんらんとかがやかせ、項羽をにらみつけていたので、劉邦は殺されずに助かったということから、この語ができた。, 【故事】
 出典は「韓詩外伝(かんしがいでん)」です。斉(せい)の荘公(そうこう)が狩りに行ったときにカマカリが前足を振り上げ車の輪を打とうとしたので「これは何の虫だ」と問うと、「カマキリという虫で、進むことしか知らず、退くことを知りません。自分の力量をかえりみず相手に立ち向かっていきます」と答えたことから。, 怒ったために頭髪が逆立って、かぶった冠を突き上げるという意味で、尋常ではない、すさまじい怒りの形相のこと。, 【故事】 史記に由来する言葉。江西のひとびとが、秦に対して反乱を起こした時に、殷通(いんとう)という長官が項羽に対して、「先んずれば即(すなわ)ち、人を制し、後(おく)るれば、則(すなわち)人の制するところとなる。」と、言ったことが由来。人よりも先に行動を起こすことで、人の先頭に立ち指示を出すことができるが、人の後から行動を起こしてしまえば、人に指示をされて支配されてしまう。という言葉からできた故事成語。, 【故事】 黄河の上流に龍門があり、ここをのぼることができた鯉は龍なることができたという伝説がある。漢の国の李膺(りよう)はりっぱな役人で、彼の目にかなった者は立身出世(りっしんしゅっせ)を約束されたようなものだから、たとえの鯉が龍門をのぼったのと同じようなものだということから、この語ができた。, 【故事】 故事成語は、一つ一つに由来となった歴史や物語があります。 この記事では、沢山ある故事成語の中でも、厳選して 有名な故事成語を100個にしぼり意味と故事付き で掲載しました。 最初に蛇を描き終えた者が、酒を引き寄せながら、自分の早さを自慢するために、ついでに足まで描けるぞと描いているうちに、もう一人の者が蛇を描き終えて杯を奪い取った。「蛇に足はない。だから、酒を飲む権利は私にある。」そう言って、その酒を飲んでしまった。, 自分にとって都合が良い方につこうとして、どちらつかずな態度で様子をみることのたとえ。, 【故事】 中国・後秦の王嘉による志怪小説集『拾遺記』 より、「周の太公望は、若い頃貧乏なのに働かず読書ばかりしていたので、妻は愛想を尽かし出て行った。後に太公望が出世して高位につくと、出て行った妻が復縁を求めてきたが、そのとき太公望は盆の水をこぼして「この水を元に戻せたら復縁に応じよう」と言った。」という記述から。 周りを敵に囲まれてしまって味方がおらず、孤立してしまっている状態のことを言います。敵という事ではないですが、自分の考えに「反対する人」しか自分の周りにいない状態でもこの言葉が使われることがあるようです。, まわりを見ても敵しかいない状態で味方もなく独りぼっち、です。非常に気の毒な状態ですよね。, 故事成語「四面楚歌」は「しめんそか」と読みます。四面は四方向、周囲ということになるかと思います。楚(そ)は中国に昔存在した国の名前です。歌はそのままですね。四面楚歌は字面を見ると「四方向から楚の歌」という事になります。, 「史記(しき)」という古典の中にある話が由来となります。中国の漢という国と楚という国が戦争していました。楚の項王が率いる軍は垓下(がいか)という地域に城を作って立てこもりました。兵員の数も少なくなってしまい、食料も少なくなっていきました。, 楚と敵対していた漢の軍隊や漢に味方する武将の軍が(楚の軍が立てこもる)城を何重にも取り囲みます。, このような状況で夜間に漢の軍隊が取り囲んでいる四方からなぜか楚の国の歌が聞こえてきました。これを聞き項王は大変驚きました。楚の歌が漢の軍の中から聞こえてくるという事は楚が既に漢の支配に下ってしまったということか。こんなに楚の民が大勢ここに連れて来られているとは・・・。, このような話が書かれている箇所が史記にはありまして、この出来事から「四面楚歌」が誕生しました。項羽と劉邦の話ですよね。項王は項羽のことだと思います。非常に形勢が不利だったわけですが、実は項羽さん、この立てこもっていた場所から抜け出すことに成功したんですね。それはそれで凄いことのような気がしました。何重にも取り囲まれていたというのによく抜け出せましたよね。, 実際に戦争が行われている時に取り囲まれた状態であればこの故事成語は使える表現かと思います。, 例えば1945年8月の大日本帝国はアメリカ合衆国、ソビエト連邦、中華民国といった国に取り囲まれた状態で同盟を結んでいた国も敗れてしまい孤立した状態でした。このような場合は「当時の日本は四面楚歌の状態だった。」と表現することが出来るかと思います。, ある歯医者さんのご家庭にお生まれになった、ただお一人の息子さんが高校生になってからミュージシャンになるために上京したいと言い始めました。両親も親戚のみんなも猛反対し高校生の息子さんに味方してくれる身内の方は一人もいらっしゃいませんでした・・・。このような状況の場合ですと、高校生の息子さんの立場からすると「この時の私は四面楚歌の状態だった。」と言えるのではないかと思います。, 今回取りあげてみた四面楚歌ですが、この状態になると挽回するのも相当難しいでしょうね。四面楚歌は悲惨だから、どうやったらこのような状態にならずに済むものなのかよく考えるというか、負ける戦はしないようにというのが教訓になるのでしょうか。, それと皆が反対することが明らかな意見は主張しないほうがいいということになりますかね。周りの人の中の一部でも賛成にまわってくれるような意見の修正をする必要があるのかなぁと思いました。, 戦争の場合は周囲の国が全て敵側にまわることのないような妥協が必要という事なのでしょうか。でもどうにもならないことは意外と多いものかもしれません。簡単な話ではなさそうです。, 今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>, 故事成語関連記事「故事成語『鶏口牛後』の読み方や意味、由来の話について」はこちらです。, 故事成語関連記事「故事成語である『漁夫の利』の読み方と意味について」はこちらです。. Copyright ©  茶山(さやま)の関心事セット All rights reserved. 司馬しば錯さくという戦国時代の秦しんの将軍が、張儀ちょうぎという戦国時代の遊説家ゆうぜいか(戦国時代に諸侯などに策を提言し、それを生業とした人)と秦の恵王の前で次のような論争をしました。司馬錯は我が秦はまず蜀を攻めるべきだと主張し、一方遊説家の張儀は「蜀など攻めずに韓を攻めた方がよい」と言います。二人の提言を聞いた秦の恵王は、さらなる説明を二人に求めます。張儀は「まず魏と楚両国と親善関係を結び、そのあと韓を討ってそのまま周を脅迫し、秦が天下を取ったと名乗りをあげるべきです」と主張します。司馬錯はこれに対し「いやいや、まずは広大な蜀を手に入れて国力の増大を図る方が先です」と主張します。司馬はさらに「現在秦の土地はわずか、庶民は困窮しております。まずは簡単にできることから始めるべきでしょう。蜀は西の辺鄙なところにあり、ここを奪えば秦は領地が広がり、財も得られ、庶民を豊かにすることも可能です。軍をよくおさめ、庶民に害を与えなければ、蜀は我らに帰順するでしょう。そうすれば天下の人は我々を暴虐とか貪欲とか非難しないはずです。兵を一度動かすだけで名と利の両方が一挙に得られるのです」と王を説得します。恵王はそれを聞いて「良い意見である」と司馬錯の意見を取り入れ、まず蜀を攻めてこれを滅ぼします。, 自分の目で見たり耳で聞いたりするなどして得た体験や知識が圧倒的に少なく、それでいて自分の乏しい見聞にこだわってしまうという意味です。見聞が乏しいにも関わらず、自分は何でも知っているように勘違いしたり、得意になっている人を指す事もあります。また、世間知らずという意味もあります。, 【故事】 故事成語(こじせいご)いちらん. 晋の孫楚(そんそ)と言う人が隠居(いんきょ)する時に友人に「石に枕し流れに漱ぐ」と言うべき所を「石に漱ぎ流れに枕す」と逆に言ってしまった。友人にそのことを言われると、負け惜しみで石でくちをそそぐのは歯をみがくためで、流れに枕するのは耳をあらうためだ」とこじつけたことから、この語ができた。, 功績が上に立つ者だけのものとなって、下に働く者や陰になって苦労した人たちの努力は報われないというたとえ。, 【故事】 髪の毛一本入れる余地もないことから。前漢の時、呉王・劉濞(りゅうひ)が漢に恨みを持ち謀反を起こそうとした。すると、郎中の枚乗(ばいじょう)がそれを諌めてこう言った。「王の行為は、糸に千鈞もの重りをつけ、際限なく高いところから計り知れないほどに深い淵に吊り下げるようなものです。一旦糸が切れてしまうと二度と出られないでしょう。出ようにも、【その隙間は髪の毛一本も入らないほどです】」(『説苑』正諌より), 心に疑いを抱いていると、なんでもないことまで疑わしく不安に思えてくること。疑いがつのり何でもないことにおびえるようす。疑いの心が膨れ上がると、何でもないことにも不安や恐れを抱くものである。, 【故事】 楚の人が、鄭の霊公にすっぽんを献上しました。公子(貴族の子)である子公と子家が、ちょうどそのとき霊公の屋敷を訪れようとしていました。その時子公の人差し指がぴくりと動いたので、子公は子家にそれを示してこう言いました。「私の人差し指がこうなる時は必ず珍味にありつけるんだ」。二人が霊公の屋敷に入ると料理人がちょうどすっぽんをさばいているところでした。, 【故事】 『史記(司馬遷による、中国の歴史書)』「留侯世家」より。都を占領してすっかり気の緩んだ劉邦(りゅうほう)に対して、軍師の張良(ちょうりょう)が、人の戒めを聞くよう忠告した時の言葉。, ・身にふりかかる災難(さいなん)を活用(かつよう)して、自分に役立(やくだ)つものとして利用するさま。 中国、趙(ちょう)の都・邯鄲(かんたん)で、盧生(ろせい)という貧しい若者が宿で呂翁(りょおう)という道士から不思議な枕を借りて寝た。すると、出世して50年余りの栄華を極めて一生を終えるという体験をした。しかし、目が覚めてみると宿の主人が炊いていた粟もまだ煮え切らないほどの、短い時間だったということから。, お互いのことを理解して、信頼しあうこと。利害のあるなしに関わらず、親密な交際のたとえ。, 【故事】 小学生国語・語彙(ごい)の教材、【故事成語】について学習する練習問題プリントです。 故事成語(矛盾、完璧、破天荒など)の意味についての理解を確認し、正しく使えるように練習します。 (対象学年:小学4年生から) 中国戦国時代の法家である韓非の著書『韓非子』 より、「昔、中国の宋の国の農民が畑仕事をしていると、兎が飛んできて、木の切り株につき当たって死んだ。それを拾って以来、農民は畑を耕すのをやめて、切り株の番をして兎を捕ろうとしていた。ところが兎は二度とは手に入れることができず、自分自身は宋の国中の笑いものになってしまった。」という記述から。, 【故事】 してくれた人はひとりもおらず、全員が敵だった」. 「史記」項羽本紀より。「項王の軍、垓下に壁す、兵少く食尽きぬ、漢の軍および諸侯の兵、之を囲むこと数重、夜、漢の軍四面皆楚歌するを聞きて、項王乃ち大いに驚いて曰く、漢皆己に楚を得たるか、是何ぞ楚人の多きやと。」楚の項羽が垓下に囲まれた時、夜更けて東西南北四面の漢軍の中から楚国の歌が聞こえ、楚の民が全て漢に降伏したのかと驚いたという故事から。, 【故事】 「戦国策・斉」より出典。中国の楚(そ)の国で、祠(ほこら)の司祭者が召使に大杯に盛った酒を振る舞った。しかし、召使たちはみんなで飲むには酒が足りないので、地面に蛇の絵を描き、早く描き上げた者が酒を飲もうと提案し、さっそく蛇の絵を描き始めた。 日本の戦国武将・武田信玄の軍の旗印として有名な「風林火山」ですが、これは元々『孫子』の中に出てくる言葉です。『孫子』の軍争篇で孫子は、戦術の基本は敵をあざむくことだ、と言っています。そしてその行動は変幻自在のものでなければならない、と。風のように行動したかと思えば、林のようにシーンと静まり返り、燃え上がる火のように襲いかかったかと思えば、山のように微動だにしない。ここがいくさでの変幻自在を説いた「風林火山」の部分です。, 一度離縁してしまった夫婦の仲は元に戻らない事。また、一度してしまった失敗は取り返しがつかないという事。, 【故事】
 中国前漢時代の討論会(塩鉄会議)の記録を、政治家・学者の桓寛が60篇にまとめた書物『塩鉄論・詔聖』より。「死して再びは生きずとなれば、窮鼠も狸(野猫)を噛む(死に物狂いになった鼠は猫を噛むこともある)」という記述から。, 【故事】 「切磋」骨角玉石などを切り磨くこと「琢磨」玉などを擦り磨くことから、学問などを磨き励むこと。五経の一、詩経より「有斐君子、如切如嗟、如琢如磨」, 【故事】 「史記」より。中国、漢の韓信が趙の軍と戦った際に、川を背にして陣取って大勝したという故事から。, 【故事】 「戦国策・斉」より出典。中国の楚(そ)の国で、祠(ほこら)の司祭者が召使に大杯に盛った酒を振る舞った。しかし、召使たちはみんなで飲むには酒が足りないので、地面に蛇の絵を描き、早く描き上げた者が酒を飲もうと提案し、さっそく蛇の絵を描き始めた。最初に蛇を描き終えた者が、酒を引き寄せながら、自分の早さを自慢するために、ついでに足まで描けるぞと描いているうちに、もう一人の者が蛇を描き終えて杯を奪い取った。「蛇に足はない。だから、酒を飲む権利は私にある。」そう言って、その酒を飲んでしまった。, 【故事】 漢(かん)の国の皇帝の成帝(せいてい)のとき、朱雲(しゅうん)という家臣が上役の悪だくみを知り、成帝(せいてい)に何とかするようにといさめた。成帝(せいてい)はたいへん怒り、朱雲(しゅうん)を御殿(ごてん)から引きずりおろそうとした。朱雲(しゅうん)は、欄檻(らんかん…てすり)につかまって必死に訴えた。欄檻(らんかん)は折れ、地面に落とされても朱雲(しゅうん)は訴え続けたことから、この語ができた。(漢書), 【故事】

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