必 有 得天時者 返り点 8

生経七日 遇観世音及大勢至 聞法 歓喜 経一小劫 成阿羅漢。 是名下輩生想 名第十六観。, (31) 是名中品下生者。 阿弥陀仏 神通如意 於十方国変現自在。或現大身満虚空中 或現小身丈六 八尺。 行者自見 坐蓮華上。 菩薩三万二千。文殊師利法王子而為上首。, (2) 諸天童子 自然在中。 中品中生者 若有衆生 若一日一夜 受持八戒斎 若一日一夜 持沙弥戒 若一日一夜持具足戒 威儀無欠。 中品下生者 若有善男子・善女人 孝養父母 行世仁慈。此人命欲終 時 遇善知識為其 広説阿弥陀仏国土楽事 亦説法蔵比丘 四十八願聞。 是名中品中生者。, (27) 一一化仏 無数化菩薩 以為侍者。変現自在 満十方世界。譬如紅蓮華色。 仏告韋提希 汝是凡夫心想羸劣[9] 未得天眼 不能遠観。 世尊亦遣尊者富楼那 為王説法 如是時間経三七日 王食麨蜜 得聞法故顔色和悦。, (3) 今向世尊 五体投地 求哀懺悔。 如是蓮華 有八万四千葉。一一葉間 各有百億摩尼珠王 以為映飾。 如前蓮華 等無有異。 遥向耆闍崛山 為仏作礼而作是言 「如来世尊在昔之時 恒遣阿難来慰問我。 然 彼如来宿願力故 有憶想者 必得成就。 若不合者 名為妄想。若有合者 名為麁想[14] 見極楽世界。 各標題は『観経疏』の科段に、科段の番号は「註釈版」の読み下し文にリンクしています。, (1) 唯願世尊 教我思惟[2] 教我正受」。 仏眼如四大海水。青白分明。 無量諸天 発無上道心。, (32) 一一宝珠 有八万四千光。 其光 化為百宝色鳥。和鳴哀雅 常讃念仏 念法 念僧。 三者発菩提心 深信因果 読誦大乗 勧進行者。 善男子 如汝善人。随順 三世諸仏教 故 我来迎汝。 衆宝間錯 色中上者。 涌生諸果 如帝釈瓶。 頂上毘楞伽摩尼宝。以為天冠。其天冠中 有一立化仏。 智者復 教合掌叉手 称南無阿弥陀仏 称仏名故 除五十億劫 生死之罪。 如来 今者 教韋提希及未来世一切衆生 観於西方極楽世界。 若善男子善女人 但聞仏名二菩薩名 除無量劫生死之罪。何況憶念。 世尊 悉記皆当往生 生彼国已 得諸仏現前三昧。 以無縁慈 摂諸衆生。 「天時」は"天のもたらす幸運"。 「地利」はそのままだが、"地勢の有利さ"。 「人和」もそのままだが、"人心の一致"。 「A不如B」は"AはBに及ばない"。 ★三里之城、七里之郭、環而攻之而不勝。夫環而攻之、必有得天時者矣。 華上自然 有七宝果。 時目犍連 如鷹・隼飛 疾至王所。日日如是 授王八戒。 聞已信解 発無上道心。経十小劫 具百法明門 得入初地。 一一宝中有五百色光。其光如華。又似星月。 其幢 八方八楞具足。 若欲念彼仏者 当先作此華座想。作此想時 不得雑観。 是名下品中生者。, (30) 孟子曰:「天時不如地利,地利不如人和。三里之城,七里之郭,環而攻之而不勝;夫環而攻之,必有得天時者矣,然而不勝者,是天時不如地利也。城非不高也,池非不深也,兵革非不堅利也,米粟非不多也,委而去之,是地利不如人和也。故曰:域民不以封疆之界,固國不以山溪之險,威天下不以兵革之利。得道者多助,失道者寡助。寡助之至,親戚畔之;多助之至,天下順之。以天下之所順,攻親戚之所畔,故君子有不戰,戰必勝矣。」, .mw-parser-output .inline-note{color:#996666}〈.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-variant-east-asian:ruby}.mw-parser-output ruby>rb,.mw-parser-output ruby>rp{speak:none}孟子(まうし)曰(いは)く、天(てん)の時(とき)は地(ち)の利(り)に如(し)かざるなり。地(ち)の利(り)は人(ひと)の和(わ)に如(し)かざるなり。三里(り)の城(しろ)、七里(り)の郭(くわく)、環(めぐ)りて之(これ)を攻(せ)めて、而(しか)して勝(か)たず。夫(そ)れ環(めぐ)りて之(これ)を攻(せ)むれば、必(かなら)ず天の時(とき)を得(う)る者(もの)あり。然(しか)り而して勝(か)たざる者(もの)は、是(こ)れ天(てん)の時(とき)、地(ち)の利(り)に如(し)かざるなり。城(しろ)高(たか)からざるに非(あら)ざるなり。池(いけ)深(ふか)からざるに非(あら)ざるなり。兵革(へいかく)堅利(けんり)なるに非(あら)ざるなり。米粟(べいぞく)多(おほ)からざるに非(あら)ざるなり。委(ゐ)して之(これ)を去(さ)るは、是(こ)れ地(ち)の利(り)は人(ひと)の和(わ)に如(し)かざるなり。故(ゆゑ)に曰く、民(たみ)を域(かぎ)るに封疆(ほうきよう)の界(さかひ)を以(もつ)てせず、國(くに)を固(かた)むるに山溪(さんけい)の險(けん)を以(もつ)てせず、天下(てんか)を威(おど)すに兵革(へいかく)の利(り)を以(もつ)てせず、道(みち)を得(う)る者は助(たす)け多(おほ)く、道(みち)を失(うしな)ふ者(もの)は助(たす)け寡(すくな)し。助(たす)け寡(すくな)きの至(いた)りは、親戚(しんせき)之(これ)に畔(そむ)く。助(たす)け多(おほ)きの至(いた)りは、天下(てんか)之(これ)に順(したが)ふ。天下(てんか)の順(したが)ふ所(ところ)を以(もつ)て、親戚(しんせき)の畔(そむ)く所(ところ)を攻(せ)む。故(ゆゑ)に君子(くんし)は戰(たゝか)はざるあり、戰(たゝか)へば必(かなら)ず勝(か)つ。〉, 孟子將朝王。王使人來曰:「寡人如就見者也,有寒疾,不可以風;朝將視朝,不識可使寡人得見乎?」對曰:「不幸而有疾,不能造朝。」明日出弔於東郭氏。公孙丑曰:「昔者辭以病,今日弔,或者不可乎?」曰:「昔者疾,今日愈,如之何不弔?」王使人問疾,醫來。孟仲子對曰:「昔者有王命,有采薪之憂,不能造朝。今病小愈,趨造於朝;我不識能至否乎?」使數人要於路曰:「請必無歸,而造於朝。」不得已而之景丑氏宿焉。景子曰:「內則父子,外則君臣,人之大倫也。父子主恩,君臣主敬。丑見王之敬子也,未見所以敬王也。」曰:「惡!是何言也!齊人無以仁義與王言者,豈以仁義爲不美也?其心曰『是何足與言仁義也』云爾,則不敬莫大乎是。我非堯舜之道不敢以陳於王前,故齊人莫如我敬王也。」景子曰:「否,非此之謂也。《禮》曰:『父召無諾;君命召,不俟駕。』固將朝也,聞王命而遂不果,宜與夫禮若不相似然。」曰:「豈謂是與?曾子曰:『晉楚之富,不可及也。彼以其富,我以吾仁;彼以其爵,我以吾義,吾何慊乎哉?』夫豈不義而曾子言之?是或一道也。天下有達尊三:爵一,齒一,德一。朝廷莫如爵,鄉黨莫如齒,輔世長民莫如德。惡得有其一,以慢其二哉?故將大有爲之君,必有所不召之臣;欲有謀焉則就之。其尊德樂道,不如是不足以有爲也。故湯之於伊尹,學焉而後臣之,故不勞而王;桓公之於管仲,學焉而後臣之,故不勞而霸;今天下地醜德齊,莫能相尙。無他,好臣其所敎,而不好臣其所受敎。湯之於伊尹,桓公之於管仲,則不敢召;管仲且猶不可召,而況不爲管仲者乎?」, 〈孟子(まうし)將(まさ)に王(わう)に朝(てう)せんとす。王(わう)、人(ひと)をして來(きた)らしめて、曰く、寡人(かじん)如(すなは)ち就(つ)き見(み)んとせる者(もの)なり。寒疾(かんしつ)有(あ)り、以(もつ)て風(ふう)す可(べ)からず。朝(てう)すれば將(まさ)に朝(てう)に視(み)んとす。識(し)らず寡人(かじん)をして見(み)るを得(え)しむべきか。對(こた)へて曰(いは)く、不幸(ふかう)にして疾(やまひ)あり、朝(てう)に造(いた)る能(あた)はずと。明日(めいにち)出(い)でて、東郭氏(とうくわくし)に弔(てう)す。公孫丑(こうそんちう)曰(いは)く、昔者(むかし)辭(じ)するに病(やまひ)を以(もつ)てし、今日(こんにち)弔(てう)す。或(あるひ)は不可(ふか)ならんか。曰(いは)く、昔者(きのふ)疾(や)み、今日(こんにち)愈(い)ゆ。之(これ)を如何(いかん)ぞ弔(てう)せざらん。王(わう)、人(ひと)をして疾(やまひ)を問(と)ひ、醫(い)をして來(きた)らしむ。孟仲子(まうちうし)對(こた)へて曰(いは)く、昔者(きのふ)王命(わうめい)あり。采薪(さいしん)の憂(うれへ)あり、朝(てう)に造(いた)ること能(あた)はず。今(いま)病(やまひ)小(すこ)しく愈(い)ゆ。趨(はし)りて朝(てう)に造(いた)りぬ。我(わ)れ識(し)らず、能(よ)く至(いた)るや否(いな)や。數人(すうにん)をして路(みち)に要(えう)せしむ。曰(いは)く、請(こ)ふ必(かなら)ず歸(かへ)る無(な)くして、而(しか)して朝(てう)に造(いた)れと。已(や)むを得(え)ずして景丑氏(けいちうし)に之(ゆ)き宿(しゆく)す。景子(けいし)曰(いは)く、內(うち)は則(すなは)ち父子(ふし)、外(そと)は則(すなは)ち君臣(くんしん)、人(ひと)の大倫(たいりん)なり。父子(ふし)は恩(おん)を主(しゆ)とし、君臣(くんしん)は敬(けい)を主(しゆ)とす。丑(ちう)王(わう)の子(し)を敬(けい)するを見(み)る、未(いま)だ王(わう)を敬(けい)する所以(ゆゑん)を見(み)ざるなり。曰(いは)く、惡(あゝ)是(こ)れ何(なん)の言(げん)ぞや。齊人(せいひと)仁義(じんぎ)を以(もつ)て王(わう)と言(い)ふ者(もの)無(な)し。豈(あ)に仁義(じんぎ)を以(もつ)て美(び)ならずと爲(な)さん。其心(そのこゝろ)に曰(いは)く、是(こ)れ何(なん)ぞ與(とも)に仁義(じんぎ)を言(い)ふに足(た)らんやと、云爾(しかいへば)、則(すなは)ち不敬(ふけい)是(これ)より大(だい)なるは莫(な)し。我(わ)れ堯舜(げいしゆん)の道(みち)に非(あら)ざれば、敢(あ)へて以(もつ)て王(わう)の前(まへ)に陳(ちん)せず。故(ゆゑ)に齊人(せいひと)は我(わ)が王(わう)を敬(けい)するに如(し)く莫(な)きなり。景子(けいし)曰(いは)く、否(いな)、此(これ)の謂(いひ)に非(あら)ざるなり。禮(れい)に曰(いは)く、父(ちゝ)召(め)せば諾(だく)する無(な)し。君(きみ)命(めい)じて召(め)せば、駕(が)するを俟(ま)たずと。固(もと)より將(まさ)に朝(てう)せんとするなり。王命(わうめい)を聞(き)き、而(しか)して遂(つひ)に果(はた)さず。宜(よろ)しく夫(か)の禮(れい)と相(あひ)似(に)ざるが若(ごと)く然(しか)るべし。曰(いは)く、豈(あ)に是(これ)を謂(い)ふか。曾子(そうし)曰(いは)く、晉楚(しんそ)の富(とみ)は、及(およ)ぶ可(べ)からざるなり。彼(かれ)は其富(そのとみ)を以(もつ)てし、我(われ)は吾(わ)が仁(じん)を以(もつ)てす。彼(かれ)は其爵(そのしやく)を以てし、我は吾が義(ぎ)を以(もつ)てす。吾(わ)れ何(なん)ぞ慊(けん)せんやと。夫(そ)れ豈(あ)に不義(ふぎ)にして而(しか)して曾子(そうし)之(これ)を言(い)はん。是(こ)れ或(あるひ)は一道(いちだう)なり。天下(てんか)に達尊(たつそん)三(みつ)有り。爵(しやく)一(いつ)、齒(よはひ)一(いつ)、德(とく)一(いつ)。朝廷(てうてい)は爵(しやく)に如(し)くは莫(な)し。鄉黨(きやうたう)は齒(よはひ)に如(し)くは莫(な)し。世(よ)を輔(たす)け民(たみ)に長(ちやう)たるは德(とく)に如(し)くは莫(な)し。惡(いづくん)ぞ其一(そのいつ)を有(いう)し以(もつ)て其二(そのに)を慢(まん)するを得(え)んや。故(ゆゑ)に將に大(おほ)いに爲(な)す有(あ)らんとするの君(きみ)は、必(かなら)ず召(め)さざる所(ところ)の臣(しん)あり。謀(はか)る有(あ)らんと欲(ほつ)せば、則(すなは)ち之(これ)に就(つ)く。其(そ)の德(とく)を尊(たつと)び道(みち)を樂(たのし)むこと是(かく)の如(ごと)くならずんば、與(とも)に爲(な)す有(あ)るに足(た)らざるなり。故(ゆゑ)に湯(たう)の伊尹(いいん)に於(お)ける、學(まな)びて而(しか)して後(のち)之(これ)を臣(しん)とす。故(ゆゑ)に勞(らう)せずして王(わう)たり。桓公(くわんこう)の管仲(くわんちう)に於(お)ける、學(まな)びて而して後(のち)之(これ)を臣(しん)とす。故(ゆゑ)に勞(らう)せずして霸(は)たり。今(いま)天下(てんか)の地(ち)醜(たぐひ)し德(とく)齊(ひと)し、能(よ)く相(あひ)尙(くは)ふる莫(な)きは、他(た)なし、其(そ)の敎(をし)ふる所(ところ)を臣(しん)とするを好(この)み、而(しか)して其(そ)の敎(をしへ)を受(う)くる所(ところ)を臣(しん)とするを好(この)まざればなり。湯(たう)の伊尹(いいん)に於(お)ける、桓公(くわんこう)の管仲(くわんちう)に於(お)ける、則(すなは)ち敢(あへ)て召(め)さず。管仲(くわんちう)すら且(か)つ猶(な)ほ召(め)す可(べ)からず、而(しか)るを況(いはん)や管仲(くわんちう)を爲(な)さざる者(もの)をや。〉, 陳臻問曰:「前日於齊,王饋兼金一百而不受;於宋,饋七十鎰而受;於薛,饋五十鎰而受。前日之不受是,則今日之受非也;今日之受是,則前日之不受非也;夫子必居一於此矣。」孟子曰:「皆是也。當在宋也,予將有遠行;行者必以贐,辭曰『饋贐』,予何爲不受?當在薛也,予有戒心,辭曰『聞戒故爲兵饋之』,予何爲不受?若於齊則未有處也。無處而饋之,是貨之也;焉有君子而可以貨取乎?」, 〈陳臻(ちんしん)問(と)うて曰(いは)く、前日(ぜんじつ)齊(せい)に於(おい)て、王(わう)に兼金(けんきん)一百(いつぴやく)を饋(おく)らる。而(しか)して受(う)けず。宋(そう)に於(おい)て七十鎰(しちじふいつ)を饋(おく)らる。而(しか)して受(う)く。薛(せつ)に於(おい)て五十鎰(ごじふいつ)を饋(おく)らる。而して受く。前日(ぜんじつ)の受(う)けざる是(ぜ)ならば、則(すなは)ち今日(こんにち)の受(う)くる非(ひ)なり。今日(こんにち)の受(う)くる是(ぜ)ならば、則(すなは)ち前日(ぜんじつ)の受(う)けざる非(ひ)なり。夫子(ふうし)必(かなら)ず一(いつ)に此(こゝ)に居(を)らん。孟子(まうし)曰(いは)く、皆(みな)是(ぜ)なり。宋(そう)に在(あ)るに當(あた)つては、予(よ)將(まさ)に遠行(ゑんかう)あらんとす。行者(かうしや)は必(かなら)ず贐(じん)を以(もつ)てす。辭(じ)に曰(いは)く、贐(じん)を饋(おく)ると。予(よ)何爲(なんす)れぞ受(う)けざらん。薛(せつ)に在(あ)るに當(あた)りては、予(よ)戒心(かいしん)あり。辭(じ)に曰(いは)く、戒(かい)を聞(き)く、故(ゆゑ)に兵(へい)の爲(ため)に之(これ)を饋(おく)ると。予(よ)何爲(なんす)れぞ受(う)けざらん。齊(せい)に於(お)けるが若(ごと)きは、則(すなは)ち未(いま)だ處(しよ)する有(あ)らざるなり。處するなくして之(これ)を饋(おく)る、是(こ)れ之(これ)を貨(くわ)にするなり。焉(いづくん)ぞ君子(くんし)にして貨(くわ)を以(もつ)て取(と)らる可(べ)き有(あ)らんや。〉, 孟子之平陸,謂其大夫曰:「子之持戟之士,一日而三失伍,則去之否乎?」曰:「不待三。」「然則子之失伍也亦多矣。兇年饑歲,子之民老羸轉於溝壑,壯者散而之四方者幾千人矣。」曰:「此非距心之所得爲也。」曰:「今有受人之牛羊而爲之牧之者,則必爲之求牧與芻矣。求牧與芻而不得,則反諸其人乎?抑亦立而視其死與?」曰:「此則距心之罪也。」他日見於王曰:「王之爲都者,臣知五人焉。知其罪者,惟孔距心。爲王誦之。」王曰:「此則寡人之罪也。」, 〈孟子(まうし)平陸(へいりく)に之(ゆ)き、其(その)大夫(たいふ)に謂(い)ひて曰(いは)く、子(し)の持戟(ぢげき)の士(し)、一日(いちにち)にして三(み)たび伍(ご)を失(うしな)はば、則(すなは)ち之(これ)を去(さ)るや否(いな)や、曰(いは)く、三を待(ま)たず。然(しか)らば則(すなは)ち子(し)の伍(ご)を失(うしな)ふ、亦(また)多(おほ)し。兇年(きようねん)饑歲(きさい)、子(し)の民(たみ)は、老羸(らうるゐ)は溝壑(こうがく)に轉(てん)じ、壯者(さうしや)は散(さん)じて四方(しはう)に之(ゆ)く者(もの)幾千人(いくせんにん)なり。曰く、此(こ)れ距心(きよしん)の爲(な)すを得(う)る所(ところ)に非(あら)ざるなりと。曰(いは)く、今(いま)人(ひと)の牛羊(ぎうやう)を受(う)けて之が爲(ため)に之(これ)を牧(ぼく)する者(もの)あらん。則(すなは)ち必(かなら)ず之(これ)が爲めに牧(ぼく)と芻(すう)とを求(もと)めん。牧(ぼく)と芻(すう)とを求(もと)めて得(え)ざれば、則(すなは)ち諸(これ)を其人(そのひと)に反(かへ)さんか。抑(そも〳〵)亦(また)立(た)ちて其死(そのし)を視(み)んか。曰(いは)く、此(こ)れ則(すなは)ち距心(きよしん)の罪(つみ)なりと。他日(たじつ)王(わう)に見(まみ)えて、曰(いは)く、王(わう)の都(みやこ)を爲(を)さむる者(もの)、臣(しん)五人(ごにん)を知(し)れり。其罪(そのつみ)を知(し)る者(もの)は惟(たゞ)孔距心(こうきよしん)のみと。王(わう)の爲(た)めに之(これ)を誦(しよう)す。王(わう)曰(いは)く、此(こ)れ則(すなは)ち寡人(くわじん)の罪(つみ)なり。〉, 孟子謂蚔蛙曰:「子之辭靈丘而請士師,似也,爲其可以言也。今既數月矣,未可以言與?」蚔蛙諫於王而不用,致爲臣而去。齊人曰:「所以爲蚔蛙,則善矣;所以自爲,則吾不知也。」公都子以告。曰:「吾聞之也:有官守者,不得其職則去;有言責者,不得其言則去。我無官守,我無言責也,則吾進退豈不綽綽然有餘裕哉?」, 〈孟子(まうし)蚔蛙(ちあ)に謂(い)つて、曰(いは)く、子(し)の靈丘(れいきう)を辭(じ)して、而して士師(しし)を請(こ)ふは、似(に)たるなり。其(その)以(もつ)て言(い)ふ可(べ)きが爲(ため)なり。今(いま)既(すで)に數月(すうげつ)なり。未だ以て言ふ可からざるか。蚔蛙(ちあ)王(わう)を諫(いさ)めて用(もち)ひられず。臣(しん)爲(た)るを致(いた)して去(さ)る。齊人(せいひと)曰(いは)く、蚔蛙(ちあ)の爲(ため)にする所以(ゆゑん)は、則(すなは)ち善(よ)し。自(みづか)ら爲(ため)にする所以は、則ち吾(われ)知(し)らざるなり。公都子(こうとし)を以(もつ)て告(つ)ぐ。曰く、吾之を聞(き)く、官守(くわんしゆ)有(あ)る者(もの)は、其職(そのしよく)を得(え)ざれば則ち去(さ)る。言責(げんせき)ある者(もの)は、其言(そのげん)を得(え)ざれば則ち去る。我は官守(くわんしゆ)なし。我は言責(げんせき)なし。則ち吾が進退(しんたい)は、豈(あ)に綽綽然(しやく〳〵ぜん)として餘裕(よゆう)あらざらんや。〉, 孟子爲卿於齊,出弔於滕,王使蓋大夫王驩爲輔行。王驩朝暮見,反齊、滕之路,未嘗與之言行事也。公孫丑曰:「齊卿之位,不爲小矣;齊、滕之路,不爲近矣。反之而未嘗與言行事,何也?」曰:「夫既或治之,予何言哉?」, 〈孟子(まうし)齊(せい)に卿(けい)たり。出(い)でて滕(とう)に弔(てう)す。王(わう)蓋(かふ)の大夫(たいふ)王驩(わうくわん)をして輔行(ほかう)たらしむ。王驩(わうくわん)朝暮(てうぼ)に見(まみ)ゆ。齊滕(せいとう)の路(みち)を反(はん)し、未(いま)だ嘗(かつ)て之(これ)と行事(かうじ)を言(い)はざるなり。公孫丑(こうそんちう)曰(いは)く、齊卿(せいけい)の位(くわゐ)は、小(せう)と爲(な)さず。齊滕(せいとう)の路(みち)は、近(ちか)しと爲(な)さず。之(これ)を反(はん)し、未(いま)だ嘗(かつ)てともに行事(かうじ)を言(い)はざるは何(なん)ぞや。曰(いは)く、夫(そ)れ既(すで)に之(これ)を治(をさ)むるあり。予(よ)何(なに)を言(い)はんや。〉, 孟子自齊葬於魯。反於齊,止於嬴。充虞請曰:「前日不知虞之不肖,使虞敦匠事;嚴,虞不敢請。今愿竊有請也:木若以美然。」曰:「古者棺槨無度,中古棺七寸、槨稱之,自天子達於庶人。非直爲觀美也,然後盡於人心。不得,不可以爲悅;無財,不可以爲悅。得之爲有財。古之人皆用之,吾何爲獨不然?且比化者,無使土親膚,於人心獨無恔乎?吾聞之君子:不以天下儉其親。」, 〈孟子(まうし)齊(せい)より魯(ろ)に葬(ほうむ)る。齊に反(かへ)り、嬴(えい)に止(とゞま)る。充虞(じゆつぐ)請(こ)ひて曰(いは)く、前日(ぜんじつ)虞(ぐ)の不肖(ふせう)を知(し)らず。虞(ぐ)をして匠(しやう)を敦(あつ)うせしむ。事(こと)嚴(げん)なり。虞(ぐ)敢(あへ)て請(こ)はざりき。今(いま)愿(ねがは)くは竊(ひそ)かに請(こ)ふ有(あ)らん。木(き)以(はなは)だ美(び)なるが若(ごと)く然(しか)り。曰(いは)く、古者(いにしへ)は棺槨(くわんくわく)度(ど)なし。中古(ちうこ)は棺(くわん)七寸(しちすん)、槨(くわく)之(これ)に稱(かな)ふ。天子(てんし)より庶人(しよじん)に達(たつ)す。直(たゞ)に觀(くわん)の美(び)を爲(な)すに非(あら)ず。然(しか)して後(のち)に人心(じんしん)を盡(つく)す。得(え)ざれば、以(もつ)て悅(えつ)を爲(な)す可(べ)からず。財(ざい)なければ、以(もつ)て悅を爲す可からず。之(これ)を得(え)て財(ざい)ありと爲(な)さば、古(いにしへ)の人(ひと)皆(みな)之(これ)を用(もち)ふ。吾(われ)何爲(なんす)れぞ獨(ひと)り然(しか)らざらん。且(か)つ化(くわ)する比(ころ)までに、土(つち)をして膚(はだへ)に親(した)しからしむるなくば、人心(じんしん)に於(おい)て獨(ひとり)恔(こゝろよ)き無(なか)らんや。吾(われ)之(これ)を聞(き)く、君子(くんし)は天下(てんか)を以て其親(そのおや)に儉(けん)せずと。〉, 沈同以其私問曰:「燕可伐與?」孟子曰:「可。子噲不得與人燕,子之不得受燕於子噲。有仕於此,而子悅之,不告於王,而私與之吾子之祿爵;夫士也,亦無王命而私受之於子,則可乎?何以異於是?」齊人伐燕。或問曰:「勸齊伐燕,有諸?」曰:「未也。沈同問:『燕可伐與?』吾應之曰:『可。』彼然而伐之也。彼如曰:『孰可以伐之?』則將應之曰:『爲天吏則可以伐之。』今有殺人者,或問之曰:『人可殺與?』則將應之曰:『可。』彼如曰:『孰可以殺之?』則將應之曰:『爲士師則可以殺之。』今以燕伐燕,何爲勸之哉?」, 〈沈同(ちんどう)其私(そのわたくし)を以(もつ)て問(と)うて、曰(いは)く、燕(えん)伐(う)つべきか。孟子(まうし)曰(いは)く、可(か)なり。子噲(しくわい)人(ひと)に燕(えん)を與(あた)へるを得(え)ず。子之(しし)燕(えん)を子噲(しくわい)に受(う)くるを得(え)ず。此(こゝ)に仕(つか)ふる有(あ)らん。而(しか)して子(し)之(これ)を悅(よろこ)び、王(わう)に告(つ)げず、而(しか)して私(ひそ)かに吾子(ごし)の祿爵(ろくしやく)を與(あた)ふ。夫(か)の士(し)や、亦(また)王命(わうめい)なくして、而(しか)して私(ひそ)かに之(これ)を子(し)に受(う)けば、則(すなは)ち可(か)ならんか。何(なに)を以(もつ)て是(こ)れに異(こと)ならん。齊人(せいひと)燕(えん)を伐(う)つ。或(ある)ひと問(と)ひて曰(いは)く、齊(せい)に勸(すゝ)めて燕(えん)を伐(う)たしむと。諸(こ)れ有(あ)るか。曰(いは)く、未(いまだ)し。沈同(ちんどう)問(と)ふ。燕(えん)伐(う)つべきか。吾(われ)之(これ)に應(こた)へて曰(いは)く、可(か)なりと。彼(かれ)然(しか)り而(しか)して之(これ)を伐(う)つなり。彼(かれ)如(も)し孰(た)れか以(もつ)て之(これ)を伐(う)つ可(べ)きと曰(い)はば、則(すなは)ち將(まさ)に之(これ)に應(こた)へて天吏(てんり)爲(た)らば則(すなは)ち以(もつ)て之(これ)を伐(う)つ可(べ)しと曰(い)はんとす。今(いま)人(ひと)を殺(ころ)す者(もの)あらん。或(ある)ひと之(これ)を問(と)ひて曰(いは)く、人(ひと)殺(ころ)す可(べ)きか。則(すなは)ち將(まさ)に之(これ)に應(こた)へて可(か)と曰(い)はんとす。彼(かれ)如(も)し孰(た)れか以(もつ)て之(これ)を殺(ころ)す可(べ)きと曰(い)はば、則ち將に之に應(こた)へて士師(しし)爲(た)らば則ち以て之を殺す可しと曰(い)はんとす。今(いま)燕(えん)を以(もつ)て燕(えん)を伐(う)つ。何爲(なんす)れぞ之(これ)を勸(すゝ)めんや。〉, 燕人畔,王曰:「吾甚慚於孟子。」陳賈曰:「王無患焉,王自以爲與周公,孰仁且智?」王曰:「惡!是何言也!」曰:「周公使管叔監殷,管叔以殷畔。知而使之,是不仁也;不知而使之,是不智也。仁智,周公未之盡也,而況於王乎?賈請見而解之。」見孟子問曰:「周公何人也?」曰:「古聖人也。」曰:「使管叔監殷,管叔以殷畔也,有諸?」曰:「然。」曰:「周公知其將畔而使之與?」曰:「不知也。」「然則聖人且有過與?」曰:「周公,弟也;管叔,兄也。周公之過,不亦宜乎?且古之君子,過則改之;今之君子,過則順之。古之君子,其過也如日月之食,民皆見之;及其更也,民皆仰之。今之君子,豈徒順之?又從爲之辭。」, 〈燕人(えんじん)畔(そむ)く、王(わう)曰(いは)く、吾(われ)甚(はなは)だ孟子(まうし)に慚(は)づ。陳賈(ちんか)曰(いは)く、王(わう)患(うれ)ふる無(な)かれ。王(わう)自(みづか)ら以(もつ)て周公(しうこう)と孰(いづ)れか仁(じん)且(か)つ智(ち)なりと爲(な)す。王(わう)曰(いは)く、惡(あく)是(こ)れ何(なん)の言(げん)ぞ。曰(いは)く、周公(しうこう)管叔(くわんしゆく)をして殷(いん)を監(かん)せしむ。管叔(くわんしゆく)殷(いん)を以(もつ)て畔(そむ)く。知(し)つて之(これ)を使(せし)むれば、是(こ)れ不仁(ふじん)なり。知(し)らずして之(これ)を使(せし)むれば、是(こ)れ不智(ふち)なり。仁智は周公も未だ之を盡さざるなり。而(しか)るを況(いは)んや王(わう)に於(おい)てをや。賈(か)請(こ)ひ見(み)て之(これ)を解(と)かん。孟子(まうし)に見(まみ)えて問うて曰く、周公は何人(なんびと)ぞや。曰く、古(いにしへ)の聖人(せいじん)なり。曰く、管叔(くわんしゆく)をして殷(いん)を監(かん)せしむ。管叔(くわんしゆく)、殷(いん)を以て畔(そむ)くと。諸(こ)れ有(あ)るか。曰く、然(しか)り。曰く、周公は其(そ)の畔(そむ)かんとするを知(し)りて之(これ)を使(せし)むるか。曰(いは)く、知(し)らざるなり。然(しか)らば則(すなは)ち聖人(せいじん)、且(か)つ過(あやまち)有(あ)るか。曰(いは)く、周公は弟(おとうと)なり、管叔(くわんしゆく)は兄なり。周公(しうこう)の過(あやまち)、亦(また)宜(むべ)ならずや。且(か)つ古(いにしへ)の君子(くんし)は、過(あやま)てば則(すなは)ち之(これ)を改(あらた)む。今(いま)の君子(くんし)は、過てば則ち之に順(したが)ふ。古の君子は、其(その)過(あやまち)や日月(じつげつ)の食(しよく)の如(ごと)し。民(たみ)皆(みな)之(これ)を見(み)る。其(その)更(あらた)むるに及(およ)んでや、民(たみ)皆(みな)之(これ)を仰(あふ)ぐ。今(いま)の君子(くんし)は、豈(あ)に徒(たゞ)に之(これ)に順(したが)ふのみならんや。又(また)從(したが)つて之(これ)が辭(じ)を爲す。〉, 孟子致爲臣而歸,王就見孟子曰:「前日愿見而不可得,得侍同朝甚喜。今又棄寡人而歸,不識可以繼此而得見乎?」對曰:「不敢請耳,固所愿也。」他日王謂時子曰:「我欲中國而授孟子室,養弟子以萬鐘,使諸大夫國人皆有所矜式。子盍爲我言之?」時子因陳子而以告孟子;陳子以時子之言告孟子。孟子曰:「然。夫時子惡知其不可也?如使予欲富,辭十萬而受萬,是爲欲富乎?季孫曰:『異哉子叔疑!使己爲政,不用,則亦已矣,又使其子弟爲卿。人亦孰不欲富貴?而獨於富貴之中有私龍斷焉。』古之爲市也,以其所有易其所無者,有司者治之耳。有賤丈夫焉,必求龍斷而登之,以左右望而罔市利。人皆以爲賤,故從而征之。征商自此賤丈夫始矣。」, 〈孟子(まうし)臣(しん)たるを致(いた)して歸(かへ)る。王(わう)就(つ)いて孟子(まうし)を見(み)て曰(いは)く、前日(ぜんじつ)見るを愿(ねが)ひて得(う)べからず。同朝(どうてう)に侍(じ)するを得(え)て甚(はなは)だ喜(よろこ)ぶ。今(いま)又(また)寡人(くわじん)を棄(す)てて歸(かへ)る。識(し)らず以(もつ)て此(これ)に繼(つ)ぎて見(み)るを得(う)べきか。對(こた)へて曰(いは)く、敢(あ)へて請(こ)はざるのみ。固(もと)より愿(ねが)ふ所(ところ)なり。他日(たじつ)王(わう)、時子(じし)に謂(い)つて曰(いは)く、我(われ)中國(ちうごく)にして孟子(まうし)に室(しつ)を授(さづ)け、弟子(ていし)を養(やしな)ふに萬鐘(ばんしよう)を以(もつ)てし、諸大夫(しよたいふ)國人(こくじん)皆(みな)矜式(きようしよく)する所(ところ)あらしめんと欲(ほつ)す。子(し)盍(なん)ぞ我(わ)が爲(た)めに之(これ)を言(い)はざる。時子(じし)、陳子(ちんし)に因(よ)りて以て孟子に告(つ)げしむ。陳子(ちんし)、時子(じし)の言を以て孟子に告ぐ。孟子曰く、然(しか)り。夫(か)の時子(じし)惡(いづくん)ぞ其(その)不可(ふか)なるを知(し)らん。如(も)し予(よ)をして富(とみ)を欲(ほつ)せしめば、十萬(じうまん)を辭(じ)して萬(まん)を受(う)く、是(こ)れ富(とみ)を欲(ほつ)すると爲(な)さんや。季孫(きそん)曰(いは)く、異(い)なるかな子叔疑(ししゆくぎ)。己(おのれ)をして政(まつりごと)を爲(な)さしめ、用(もち)ひざれば則(すなは)ち亦(また)已(や)まん。又(また)其(その)子弟(してい)をして卿(けい)たらしむと。人(ひと)亦(また)孰(た)れか富貴(ふうき)を欲(ほつ)せざらん。而(しか)して獨(ひと)り富貴(ふうき)の中(うち)に於(おいて)て、龍斷(ろうだん)を私(わたくし)する有(あ)り。古(いにしへ)の市(いち)を爲(な)す、其(その)有(あ)る所(ところ)を以(もつ)て其(その)無(な)き所(ところ)に易(か)ふるは、有司(いうし)は之(これ)を治(をさ)むるのみ。賤丈夫(せんじやうぶ)有(あ)り。必(かなら)ず龍斷(ろうだん)を求(もと)めて之(これ)に登(のぼ)り、以(もつ)て左右(さいう)に望(のぞ)んで市利(しり)を罔(あみ)す。人(ひと)皆(みな)以(もつ)て賤(せん)と爲(な)す。故(ゆゑ)に從(したが)うて之(これ)を征(せい)す。商(あきなひ)を征(せい)するは此(この)賤丈夫(せんぢやうぶ)より始(はじ)まる。〉, 孟子去齊,宿於晝。有欲爲王留行者,坐而言。不應,隱几而臥。客不悅曰:「弟子齊宿而後敢言;夫子臥而不聽;請勿復敢見矣。」曰:「坐。我明語子:昔者魯繆公無人乎子思之側,則不能安子思;泄柳、申詳無人乎繆公之側,則不能安其身。子爲長者慮,而不及子思。子絕長者乎?長者絕子乎?」, 〈孟子(まうし)齊(せい)を去(さ)り、晝(ちう)に宿(しゆく)す。王(わう)の爲(た)めに行(かう)を留(とゞ)めんと欲(ほつ)する者(もの)あり。坐(ざ)して言(い)ふ。應(こた)へず。几(き)に隱(よ)りて臥(ぐわ)す。客(かく)悅(よろこ)ばずして曰く、弟子(ていし)齊宿(さいしゆく)して而(しか)る後(のち)に敢(あへ)て言(い)ふ。夫子(ふうし)臥(ぐわ)して聽(き)かず。請(こ)ふ復(また)敢(あへ)て見(み)る勿(なか)らん。曰(いは)く、坐(ざ)せよ。我(われ)明(あきらか)に子(し)に語(つ)げん。昔者(むかし)魯(ろ)の繆公(ぼくこう)、子思(しし)の側(かたはら)に人(ひと)無(な)くんば、則ち子思(しし)に安(やすん)ずる能(あた)はず。泄柳(せつりう)・申詳(しんしやう)、繆公(ぼくこう)の側(かたはら)に人(ひと)なくんば、則ち其身を安(やすん)ずる能(あた)はず。子(し)長者(ちやうじや)の爲めに慮(おもんばか)りて子思(しし)に及(およ)ばず。子(し)長者(ちやうじや)を絕(た)つか、長者(ちやうじや)子(し)を絕(た)つか。〉, 孟子去齊,尹士語人曰:「不識王之不可以爲湯、武,則是不明也;識其不可然且至,則是干澤也。千里而見王,不遇故去;三宿而後出晝,是何濡滯也!士則茲不悅。」高子以告。曰:「夫尹士惡知予哉?千里而見王,是予所欲也。不遇故去,豈予所欲哉?予不得已也。予三宿而出晝,於予心猶以爲速。王庶幾改之!王如改諸,則必反予。夫出晝而王不予追也,予然後浩然有歸志。予雖然,豈舍王哉?王由足用爲善;王如用予,則豈徒齊民安?天下之民舉安。王庶幾改之!予日望之!予豈若是小丈夫然哉!諫於其君而不受,則怒,悻悻然見於其面,去則窮日之力而後宿哉?」尹士聞之,曰:「士誠小人也。」, 〈孟子(まうし)齊(せい)を去(さ)る。尹士(いんし)人(ひと)に語(かた)りて曰(いは)く、王(わう)の以(もつ)て湯武(たうぶ)たる可(べ)からざるを識(し)らざれば、則(すなは)ち是れ不明(ふめい)なり。其(その)不可(ふか)なるを識(し)り然(しか)して且(か)つ至(いた)るは、則(すなは)ち是れ澤(たく)を干(もと)むるなり。千里(せんり)にして王を見(み)、遇(あ)はざる故(ゆゑ)に去(さ)る。三宿(さんしゆく)して而(しか)る後(のち)に晝(ちう)を出(い)づ、是(こ)れ何(なん)ぞ濡滯(じゆたい)なる。士(し)は則(すなは)ち茲(こゝ)に悅(よろこ)ばずと。高子(かうし)以(もつ)て告(つ)ぐ。曰く、夫(か)の尹士(いんし)は惡(いづくん)ぞ予(よ)を知らんや。千里(せんり)にして王(わう)を見(み)る、是(こ)れ予(よ)が欲(ほつ)する所(ところ)なり。遇(あ)はざる故(ゆゑ)に去(さ)る、豈(あ)に予(よ)が欲(ほつ)する所(ところ)ならんや。予(よ)已(や)むを得(え)ざるなり。予(よ)三宿(さんしゆく)して晝(ちう)を出(い)づるも、予(よ)が心(こゝろ)に於(おい)ては猶(な)ほ以(もつ)て速(すみやか)なりと爲(な)す。王(わう)庶幾(こひねがは)くは之(これ)を改(あらた)めよ。王(わう)如(も)し諸(こ)れを改(あらた)めば、則(すなは)ち必(かなら)ず予(よ)を反(かへ)さん。夫(そ)れ晝(ちう)を出(い)で王(わう)予(よ)を追(お)はざるや、予(よ)然(しか)る後(のち)、浩然(こうぜん)として歸志(きし)あり。予(よ)然(しか)りと雖(いへど)も豈(あ)に王(わう)を舍(す)てんや。王(わう)由(な)ほ用(もつ)て善(ぜん)を爲(な)すに足(た)る。王(わう)如(も)し予(われ)を用(もち)ひば、則(すなは)ち豈(あ)に徒(たゞ)に齊(せい)の民(たみ)安(やす)きのみならん、天下(てんか)の民(たみ)舉(みな)安(やす)からん。王(わう)庶幾(こひねがは)くは之(これ)を改(あらた)めよと。予(よ)日(ひ)に之(これ)を望(のぞ)む。予(よ)豈(あ)に是(こ)の小丈夫(せうじやうぶ)の若(ごと)く然(しか)らんや。其君(そのきみ)を諫(いさ)めて受(う)けざれば則(すなは)ち怒(いか)り、悻悻然(かうかうぜん)として其面(そのめん)に見(あらは)れ、去(さ)れば則ち日の力(ちから)を窮(きは)めて而(しか)る後(のち)に宿(しゆく)せんや。尹士(いんし)之(これ)を聞(き)きて曰(いは)く、士(し)は誠(まこと)に小人(せうじん)なり。〉, 孟子去齊,充虞路問曰:「夫子若有不豫色然。前日虞聞諸夫子曰:『君子不怨天,不尤人。』」曰:「彼一時,此一時也。五百年必有王者興,其間必有名世者。由周而來,七百有餘歲矣;以其數則過矣,以其時考之則可矣。夫天,未欲平治天下也,如欲平治天下,當今之世,舍我其誰也?吾何爲不豫哉?」, 〈孟子(まうし)齊(せい)を去(さ)る。充虞(ゆうぐ)路(みち)に問(と)ひて曰(いは)く、夫子(ふうし)不豫(ふよ)の色(いろ)有(あ)るが若(ごと)く然(しか)り。前日(ぜんじつ)、虞(ぐ)、諸(これ)を夫子(ふうし)に聞(き)けり。曰(いは)く、君子(くんし)は天(てん)を怨(うら)みず、人(ひと)を尤(とが)めず。曰(いは)く、彼(かれ)も一時(いちじ)なり、此(これ)も一時(いちじ)也(なり)。五百年(ねん)必(かなら)ず王者(わうしや)興(おこ)る有(あ)り。其間(そのあひだ)必(かなら)ず世(よ)に名(な)ある者(もの)有(あ)り。周(しう)よりこのかた、七百有餘(よ)歲(さい)、其數(そのかず)を以(もつ)てせば則(すなは)ち過(す)ぎたり。其時(そのとき)を以(もつ)てせば之(これ)を考(かんが)ふるに則(すなは)ち可(か)なり。夫(そ)れ天(てん)未(いま)だ天下(てんか)を平治(へいち)せんと欲(ほつ)せざるなり。如(も)し天下(てんか)を平治(へいち)せんと欲(ほつ)せば、今(いま)の世(よ)に當(あた)つて、我(われ)を舍(す)てて其(そ)れ誰(たれ)ぞ。吾(われ)何爲(なんす)れぞ不豫(ふよ)せんや。〉, 孟子去齊居休。公孫丑問曰:「仕而不受祿,古之道乎?」曰:「非也。於崇,吾得見王;退而有去志,不欲變,故不受也。繼而有師命,不可以請。久於齊,非我志也。」, 〈孟子(まうし)齊(せい)を去(さ)りて休(きう)に居(を)る。公孫丑(こうそんちう)問(と)うて曰(いは)く、仕(つか)へて祿(ろく)を受(う)けざるは、古(いにしへ)の道(みち)か。曰(いは)く、非(ひ)なり。崇(すう)に於(おい)て吾(われ)王(わう)に見(まみ)ゆるを得(え)たり。退(しりぞ)いて去志(きよし)あり。變(へん)ずるを欲(ほつ)せず、故(ゆゑ)に受(う)けざるなり。繼(つい)で師命(しめい)あり。以(もつ)て請(こ)ふ可(べ)からず。齊に久(ひさ)しきは、我(わ)が志(こゝろざし)に非(あら)ざるなり。〉, https://ja.wikisource.org/w/index.php?title=孟子/公孫丑下&oldid=90557.

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